私は毛深いオンナだ。
物理的に(生物的に?)体毛が多い。放っておけば眉毛は繋がりかけるし、ウデもスネも毛がモサモサしている。口まわりには細いうぶ毛のほか、濃いヒゲが生える毛根が数ヶ所。

まつ毛も豊富なのだけれど、その他の箇所の体毛が濃すぎて毛深コンプレックスを打ち消すようなことにはならなかった。

抜いたり剃ったりで忙しくなったのは、中学生の頃から。眉毛を無理に抜いた毛抜きがバッチくて、眉間が膿んだこともあった。高校生のときも、大学生のときも、せっせせっせとカミソリを走らせた。

働き始めて使えるお金が増えると、脱毛グッズをひととおり試した。テープ、ワックス、クリーム、脱毛器…。どれも、すぐにチクチク生えてきてそのうちモサモサになった。売り文句と違うじゃん!とキレつつ、結局はいつも剃っていた。モサモサの手足を晒すのは、嫌だった。

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でも、あるとき衝撃の出会いをした。
ある冬のこと。大学院の研究の延長で見たいものがあった私は、旅行半分パリに行った。現地の図書館に行き、係の人にお目当ての資料を出してもらった。

相手は緩くうねる亜麻色の髪を後頭部で1つに束ねた、知的なかんじのメガネ美人で、学生スタッフかと思ったくらいには若かった。そして、見事なまでに、「モサモサ」だった。

口のまわりも二の腕も、ホッペだって、いわゆる「ムダ毛」が実にみっしり生えている。私は思わず凝視してしまったのだけれど、相手はそんなことに気づく様子もなくマイクロフィルムの映写機と格闘してくれている。
フィルムのセットが終わると、彼女はどうぞと微笑んでくれ、私は礼を述べて閲覧にとりかかった。はやる胸をおさえつつ。

そのときの驚きは、10年近く経った今でもよく覚えている。私にはショックだったのだ。こんな素敵で知的なパリジェンヌ(この単語が適切なのかどうかはさておき)が、日本で言うところの「ムダ毛」にまるで頓着していない。1ミリも気にかけていない。モサモサの口元で、素敵な笑顔を私に向けている。
大袈裟なようだけれど、私は、何かを、「悟った」。さすがフランス、日本とは違うぜと感動した。モサモサのパリジェンヌはそのとき確かに私のヴェヌス(ヴィーナス)になった。

毛、そのまんまだって、いいじゃん。

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実のところ、私はいまだに「悟り」きれてはいない。腕はありのままを晒すようになったけれど、モサモサのスネを出して歩く気にはまだなれない。眉毛に関しては清潔感の問題が浮上してくるので手入れを欠かさないし、口まわりもまた然り。

あのときの彼女にしたって、周囲からは「ものぐさ」だとか「女子力低い」とかいった陰口を言われていたかもわからない。

それでも、私の目に彼女は素敵に映った。そして、私に啓示をくれた。

言い換えるならば「許容」の視点だ。毛、生えていてもいいんだよ。剃らなくてもいいんだよ。世の中はなぜか脱毛除毛に人を駆り立てるメッセージと商品で溢れているけれど、それに従うかどうかは当人の勝手なのだ。モサモサを気にせず居られるのならそのままで構わないし、ツルリとしている毛の無い自分のほうが好きなら、そうなればいい。
要は、自分次第なのだ。自分が笑って過ごせるかどうか。 そこなのだ。

今の私は三十路過ぎで、当時は影も形も気配も無かった息子がひとりいる。確実に毛深くなるであろう彼のためにも、私は「モサモサ」を(清潔であるという前提のもとで)「許容」する姿勢を示していきたいと思っている。