ジムになんて絶対に通わない人生だと思っていた。ジムの存在やジムに通っている人を否定しているわけではなく、昔から瘦せ型で、いくら食べても太らなくて、「ガリガリだね~」と言われ続ける人生だったからだ。

汗をかくような運動とは無縁。歩くのは好きで、片道2キロくらいなら余裕で徒歩を選択する私だったが、気づけば20代後半。仕事はここ数年デスクワーク。立っている時間より座っている時間のほうが圧倒的に多くなり、久々に体重計に乗ったら、まさかのプラス5キロ。

絶叫。悲鳴。からの雄たけび。確かに少しお腹は出たような気もするけど、ホルモンバランスとか、身体の調子とかもあるし、いつもならすぐ元に戻るし、なんて言い訳ばかり巡らせてやっと気づいた。もう「勝手に痩せる年齢」を超えてしまったことに。

若いうちは代謝がいいからみるみる痩せていくけど、年を重ねるごとにそれができなくなり、脂肪とプライドばかりが積まれていく、なんて話を聞いたことがある。まさに私じゃん、なんて1人でぽつり呟き、鏡と体重計を交互に見つめる。

「これが現実ってやつか…」このまま何もしなければ太る道まっしぐら、抗えば昔の体(といっても1年前)に戻れるかもしれない。そこですぐに思いついたのは「ジム」だった。

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元々、苦しいことが嫌いな私は、ジムというものに一切惹かれたことがなかった。無酸素運動ではマシンで身体を追い込み、有酸素運動ではキツいと思いながら走る、歩く。これのどこが楽しいっていうんだ。もっと言うと腹筋も大嫌い。腕の力を使って起き上がるのも精一杯。それでやっと10回できる程度だった。

少しでもテンションを上げてジムに通おうと思い、お腹が見えるタイプのトレーニングウェアを買った。それはデザイン的にも好みだったから、という理由だけではなく、ここまで太り続けた自分への戒めも込めていた。「お腹を誰かに見られる屈辱を味わいながら痩せなさい」と自分に言い聞かせて。

通い始めたころは、マシンの使い方を覚えるので精一杯。どこに力を入れて、どのタイミングで呼吸するのか、マシンのセットの仕方、どの筋肉に効くのか。簡単な使い方だとしても、痩せることを意識すると徹底的にやらないと気が済まなくなった。

たくさんの人に囲まれて行うトレーニングに恥じらいも最初は感じていたが、回数を重ねるうちに少し身体が引き締まり、不安は自信へと変わっていった。

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仕事帰りにジムに行くことが習慣になっていたある日、あまりの忙しさにサボってしまおうか、という怠け者の思いがよぎった。決してズルいことではないというのは自分でもわかっている。むしろ、仕事をしたあとにジムに行く気力と体力がある時点で自分を褒めるべきなのだ。

でも、時々しょうもないことでサボりたくなる自分がいる。疲れたから、寒いから、雨が降っているから。どれも太った時と同じように、言い訳ばかりが脳内を駆け巡る。身体は動こうとしないのに、考えばかりが忙しそうに動き回るのだ。

でもそこで努力をしてきたもう1人の私がストップをかける。「ここでサボればまた同じ理由で行かなくなる。もっと太ることになるわよ、アナタ」と。そこで一気に切り替わる。帰ったら晩ご飯を食べてダラダラするのがわかっているし、そのダラダラタイムをトレーニングタイムにしなければ!と。

その繰り返しで、今では週に3回ジムに行くことが定着した。むしろ行かないと気が済まないという感覚に近い。大嫌いだった腹筋は楽々と20回以上通しでできるようになり、回数が増えるごとに今ではお気に入りメニューとなった。

身体が変われば考えも変わる。趣味がジム通いになったことで、デスクワークの肩こりも少し良くなったような気もする。痩せるだけが目的ではなくなったトレーニング。ジムの帰り道は、いつも心と身体が軽い。