もう20年くらい前なのに、嫌でも記憶に焼きついてしまっているとある出来事。大きな黒板や真新しいランドセルへのドキドキが消えきっていない、小1になってまだ間もない頃の話だ。
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壁に貼られた、クラス全員分の書写の作品。といっても、低学年のうちは習字セットはまだ持たされず、書写の授業では毎回フェルトペンを使って字の練習をしていた。教室の壁には、自分のフルネーム(ひらがな)をフェルトペンで書いた作品がずらりと並んでいた。
私の下の名前は「まりえ」というのだが、二重線を引かれるだか塗り潰されるだかして「まり」が消されていて、すぐ脇に大きく「さる」と書かれた。「まりえ」ではなく、「さるえ」。その落書きが意味するものは、一目見た瞬間すぐにわかった。
私は、人よりもかなり毛深かった。腕や脚はもちろんのこと、顔に生えているうぶ毛も濃くて、うっすらと両の眉毛がつながりかけているような状態だった。人間離れしているような体毛の濃さ。それを猿にたとえられ、からかわれた。他のクラスメイトの目にも見える形でからかわれたのが、特にショックだった。私にとっては、公開処刑を受けたも同然だった。
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20年も前の記憶となると、はっきりしている部分とあやふやな部分が正直混在している。
落書きの犯人は、あまり時を置かずに発覚した。同じクラスの男子Aと、Aと仲が良いらしい1学年上の男子Bによる共犯だった。どうやって犯人が判明したのかもよく覚えてないし、彼らから謝罪を受けたのかもよく覚えていない。
しかしいずれにせよ、彼らは反省なんてまったくしていなかった。Aにはその後何度も「さるえ!さるえ!」と聞きたくない言葉を直接投げつけられた。Bとはのちに通い始めた習字教室で時々顔を合わせるようになり、同級生と共に私のほうをジロジロ見ながら「あれだよ、あれ。ヤバくない?」と囁き合っていた。
生徒の人数が多すぎてあんまりちゃんと指導してもらえない、というような理由で数年後に別の習字教室に移ることになったときは、かなりせいせいした。私にとってあの教室に行きたくない最大の理由は、Bがそこに居たことだったからだ。
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でもAとは同学年である以上、クラスが同じになってしまうと同じ教室に居ざるを得ない。保育園から一緒というよしみで、元々はどちらかと言うとAに対して仲間意識や安心感のようなものを覚えていたはずなのに、落書きの一件以来、一瞬で大嫌いな男子へと成り下がった。視界に入ってくるだけで胸が暗くざわついた。引っ込み思案なタイプだった私はAから何か言われても反撃できず、黙って俯くことしかできなかった。
一目で異常だとわかるほどの毛深さなら、そこに触れてくるのはAやBに限った話ではない。他にも何人もの男子が、いかにも気味悪がっているような視線を向けてきたり、Aのようにわかりやすい言葉をぶつけてきたりした。
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当時も思ったし、全身脱毛を受けたことでかなり体毛が目立たなくなったいまでも思う。
私が女じゃなくて男なら、そこまで白い目で見られることはなかったんじゃないか、と。
幼い私が何も言い返せなかったのは、幼いなりに「毛深い女はおかしい」という価値観が根を張っていたからだ。女なのに毛深い私はおかしい。おかしいから、眉をひそめられる。後ろ指を指される。いまなら、その指をすかさず掴んでへし折ってやりたいくらいの怒りがちゃんと湧く。
だって、確かに私はしっかり傷ついたから。AやB、その他の言いたい放題言ってきた男子たち、未だに全員の顔と名前を覚えている。その強い記憶がそのまま深い傷の証拠だ。彼らのことを思い出すたび、毎度鮮やかな怒りが湧く。「うるせえ」「だまれ」「ほっとけ」と、小学生の彼らに向かって心の中で口汚く吐き捨てる。
記憶の中の子ども相手に大人げない、とは思う。我ながら性格が良くないな、とも思う。そもそも子どもは良くも悪くも純粋な生き物だから、思ったことをストレートに口にするのはある種仕方ないことなのかもしれない。でもだからといって、「子どもだから」を免罪符になんてしてほしくない。
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昔は、感情のすべてが「恥」に変換された。「怒り」にはならなかった。全身脱毛のおかげでコンプレックスを和らげられたのは、素直に嬉しい。しかし、それは今と未来の自分に対する処置でしかなくて、過去の自分を慰めることにはならない。私は、ランドセルを背負っていたあの頃、「嫌だ」と腹を立てたかった。「やめて」と叫び返したかった。
生物学的性別と身体的特徴。このふたつは本来別物のはずなのに、いっしょくたにして定義されることが多いような気がする。女性ホルモンや男性ホルモンの量によって身体つきに差が出ることもまた事実ではあるけれど、とはいえ身体的特徴が世間一般の基準とズレているからといって「女のくせに」「男のくせに」と一方的に蔑むのはやっぱり排他的で、嫌いだ。
好きで女として生まれてきたわけではない。好きで毛深く生まれてきたわけでもない。でもそういう体質で生まれてきてしまった以上、一旦は受け入れるしかない。私個人としても、手足の毛は濃いより薄いほうが綺麗だとは思う。だから頑張って剃るなり脱毛するなり、自分なりに努力はする。実際、これまでそうしてきた。
とりあえず、外野は黙っていてほしい。何を思うのもその人の勝手だけれど、思うだけにとどめてほしい。あなたたちが感情のままに発した言葉が、どれほどの凶器になるのか知らないでしょう?
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……なんて、アラサーの私が小学生のAやBたちに対して今さら吠えたところでどうしようもないのだけれど。
でもだからこそ、いまの子どもたちはどうなんだろうとふと思ったりもする。どうか、「女のくせに」「男のくせに」に苦しむ子がひとりでも減っていますように。そう願わずにはいられない。