高校3年生の頃、実家の廊下、お菓子がつめられた棚のうえに午後の紅茶ミルクティーが並んでいた。当時受験生だった私が、1日1本に迫るペースで飲んでいたからだ。3本~5本程度が常備されており、登校前に1本持ち出すと母が補充してくれるシステム。今思えば、あの光景には母の愛が詰まっていたのだなと思う。

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思い入れのある食べ物を挙げる時、高2、高3の受験期に口にしたものがいくつも思い浮かぶ。午後の紅茶ミルクティー、ミイの絵柄、甘い卵焼きが大好きだった真っ赤なた2段弁当。遅刻すれすれで家を飛び出し、セブンイレブンでお昼を調達していたこと。もちもちの赤飯おにぎり、メロンパン、サラダスパゲティ。どうしてこんなに記憶が鮮明なのかというと、朝から晩まで勉強していた生活のうち、食事が唯一の楽しみだったからだと思う。

高校2年の秋、修学旅行が終わると先生たちが揃って受験生だと言い始めた。5:30起きで登校まで勉強、授業を夕方まで受けて、部活後は塾へ。一息つけるのはご飯を食べているときだけだった。友人と机を突き合わせてつかの間のストレス発散。志望校の話も模試の結果も話さない、楽しい時間だった。

しかし、高3の6月、運動部が部活を引退する頃には、一段レベルの違うピリピリモードがクラスに漂い始めた。日常が、少しずつ変わり始める。

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バスケ部を引退したばかりの男の子が、3、4時間目の合間に早弁して、お昼休みは自習室へ向かうようになった。グループの男子に「お前真面目かよ」なんてからかわれていたのも束の間、ひと月もすればクラスのほとんどが同じ動きをするようになる。もう、教室で机の向きを変える人はいない。

この頃、音楽部の活動が9月まであった私は、引退した運動部と帰宅部を目の敵にしていた。夏休み中の部活では3年生が集まってお弁当を食べていたが、最後の演奏会前とはいえ、受験勉強に本腰を入れていないことへの不安を隠しきれない。ここにも、単語帳を持参する仲間もいる。そういえば、春先に辞めようかと相談に来た部員もいた。

放課後の塾での自習も、閉館する22時頃まで残ることが増えた。昼夜コンビニ飯も。家に帰っても母と妹はとっくの昔に夕飯を終えているので、1人で鍋をつついた夜は少し堪えた。

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少しずつ生活が変わる。どんどん日が短くなる季節に焦りを覚えながら、毎日できることをやるしかない。年が明け、迎えたセンター試験。午前中の試験を終え開いたお弁当袋には、母からの小さな手紙が入っていた。

あの頃は精一杯すぎて気がつなかった。廊下に並んだミルクティーは、温かかった鍋は、もちろん毎日のお弁当だって、すべてが母からのエールだった。スーパーで誰かの大好きなものを手に取って、備蓄する。こんなに愛情のこもった買い物はない。きっと、いや必ず、将来私も同じことをするだろう。

今は砂糖の量に怯えて飲む機会が減ったミルクティー。その姿をコンビニで見かける度に、1日1本飲んでも太らなかった頃の生活と、支援してくれた母の姿を思い出す。