「野球?甲子園なら見るけど」

懐いてくれているはずの後輩の目に、軽蔑が宿った。自分の好きな分野で過度に大衆化されたものを見る時の、ゴミを見るような目。「お前は魂を売った」と糾弾する目。甲子園なんかエラーばっかりっすよ、プロ野球ファンの彼はそう続ける。

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運動経験は小学6年までの外遊びのみ。文化部一筋の私としては、甲子園や箱根駅伝など、メディアで頻繁に取り上げられるものが唯一身近なスポーツだ。大衆向けだろうとエラーばかりだろうと、「負けたら引退」「人生1度の大舞台」なんて煽り文句を聞けば、テレビの中で汗を流す選手に感情移入して涙してしまう。後輩は、球児のプレーそのものより、背景にある物語にフォーカスする世間に嫌気が差していたのだろう。

一個人としては、プロの肉体から放たれる技を、調理し提供してくれるメディアをありがたいと思っている。特に、実況・解説者の存在は大きい。3年前の東京オリンピックでは、実家で母とそうめんをすすりながら、生まれて初めて見る自転車競技「BMX」に見入った。ド派手な新競技は、かなり見応えがあった。しかし、実況・解説者がいなければ、技の難易度やその挑戦が持つ意味、選手たちの文化を知ることはなかっただろう。

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同じく東京オリンピックで、記憶に残っている試合がある。水谷隼選手・伊藤美誠選手が出場した、卓球混合ダブルス決勝。相変わらず実家でゴロゴロしていた私は、夕食後に偶然つけたテレビで熱闘を目にした。ゴザに転がり見始めたが、一進一退、最終ゲームまでもつれ込む様子に、身を乗り出して応援する。
音が聞こえそうなほどの緊迫感と集中力。スマッシュが決まると息を吐き、よしよしよし、と声にならない声を漏らしていた。母は隣の部屋で寝てしまったので、声量は控えめ。「行け!」「これは勝ったんじゃないか?」「いや、気ぃ抜くな」「私が気ぃ抜いたとこで結果変わらん」代わりに頭の中が騒がしい。

試合も終盤に差し掛かり、1、2点ではあったが水谷・伊藤ペアが相手チームからリードを奪った。このまま順当に行けば、と心臓が重力に逆らいそうになったとき、解説をしていた男性の声が聞こえた。

「攻めましょう。攻めれば勝てますから」

浮かび上がった心臓を鷲掴みにされ、ゴザへ押し付けられる。そうか、そういうものなのか。こんな、日本中が息を止めて見ているような試合で、この人は「勝てます」と断言した。それなら、そういうことなのだろう。妙な納得感で、興奮していた頭が冷静さを取り戻す。

攻めれば勝てる。攻めれば勝てる。攻めろ!攻めろ攻めろ攻めろ攻めろ攻めろ――――

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オリンピック閉幕後のワイドショーでは、しばらく名実況・名解説が脚光を浴びていた。しかし、上述した解説は、メディアの作り手には刺さらなかったようだ。あの日実況・解説を行っていた2人の名前さえ、確かなことは分からない。「攻めれば勝てます」そう断言した声が、今も鼓膜にこびりついている。