SNSでの誹謗中傷やいじめ。テレビでよく取り上げられるようになった気がする。それが元で自ら命を絶ってしまった人のニュースを目にすると、とてもつらい気持ちになる。「どうしてこんなことが書けるの?」「相手の悲しみやつらさが分からないの?」と怒りも湧いてくる。

いつも胸を痛めているからこそ、私は決めていることがある。それは、どんなことがあっても、画面の向こう側の人を傷つけないということ。投稿する側と見る側のどちらの立場であっても、その日にたまたま嫌なことがあってムシャクシャしていても、SNSを使うときには忘れてはならないことだと思う。

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私がこういったことを真剣に考えているのには、中学生のときの経験が関係している。

あれは、私が英語のテストで良い点数を取れたときのこと。前の席のKさんに点数を聞かれた私は、目立ちたくなかったので「まあまあかな」と誤魔化した。しかし、クラスの最高得点だったようで、先生に名前まで発表され、結局バレてしまった。そのときは「えー!すごいじゃん!」とKさんは笑顔で言ってくれた。

その日の放課後、私はクラスメイトのOちゃんと話していた。そろそろ帰ろうかというときに、携帯電話を見ていたOちゃんは気まずそうに言った。「何か悪口書かれてるみたいだよ」と画面を見せてきたので覗いてみると、それはKさんのブログだった。
「後ろの席のやつが、96点取ってまあまあとか言ってた」「どんだけ完璧目指してるんですかって感じ(笑)」。私の悪口を散々書いた後は、何事もなかったかのように、Kさんの日常について綴られていた。

クラスメイトが読んでいれば、誰のことか分かるはず。まさか、私にも読まれているなんて思いもしないだろう。裏でこんな風に思われているのを知って、私はショックを受けた。

次の日、Kさんはいつものように「おはよう!」と明るく挨拶してきた。ブログの文章を思い出して、私は普段より少し小さめの声で挨拶を返した。彼女の笑顔を見ながら「いい人だと思っていたのにな」と、残念な気持ちになった。

ただでさえ人をなかなか信用できないでいたのに、この出来事でさらに悪化してしまった。Kさんとは高校まで一緒だったけれど、もう嫌な思いはしたくないので、なるべく距離を置くようにした。

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当たり前のことなのに、一時の感情で一線を越えてしまう人がいる。そのせいで、悲劇を生んでしまう。画面の向こうの人だけでなく、自分の人生も変えてしまうのに、なぜそれが分からないのだろう。

初めてSNSを始めたとき、まずは私が正しく使うことにした。明らかに炎上狙いのひどい投稿に遭遇したら、アクションは起こさずにスルー。「こんなことをしてでも誰かに反応してほしいのかな?」と思う程度にした。

そこでイラッとした分、推しの投稿を堪能して元気や癒しをもらう。それなら誰も不幸にはならないし、私自身も正しく、それから楽しくSNSを利用することができる。

みんながみんな、私のようなSNSの使い方をしているわけではない。周りの友だちは定期的に自分の日常をあげている。一方、私は投稿するより見る派なので、どちらかというとコメントすることの方が多い。

全然違うけれど、気をつけないとどちら側でも加害者になり得る。だからマナーを守りつつ、自分らしくあるの理想だと思う。誰も傷つくことなく、みんなが"正しく楽しく"SNSを使う。そんなステキな世の中になってほしい。