その人は、原爆ドームを見て、“Beautiful.”と言った。
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欧米からの観光客らしい。たまたまそこに居合わせた私は耳を疑った。大怪我をして骨が剝き出しになったドームは、私の目にはぎょっとするほど生々しかった。場違いな、不謹慎な発言だと思った。私は夫とそこを訪ねていた。夫の郷里が広島なので、帰省も兼ねていた。
「さっきの外国人、原爆ドームをきれいだと言ってたよ」
激しやすい私は、告げ口でもするかのように夫にそう言った。当然、夫も私と一緒に怒ってくれるものと期待した。高校卒業まで広島で過ごした夫は、受けてきた平和教育も他県の比ではないだろう。ところが案に相違して、夫は、一言、「きれいだと思うよ」とつぶやいただけだった。淡々とした口調だった。もともと口数の少ない人で、このときもそれ以上くだくだしい説明はしてくれず、「なぜ、きれいだと思うの?」と問い返すことははばかられた。
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私はそれからしばらく考えていた。私たち日本人は、原爆ドームを見る前に、さんざん事前学習を受けている。それは、「悲惨」で「無残」な「負の遺産」だと、刷り込まれ、あらかじめ言葉で規定されてしまっているから、それ以外の見方ができなくなっている。しかし、虚心坦懐に見れば、原爆ドームはきれいに見えなくもないのかもしれない。当時はモダンな建築物だった。今は骨組みだけになってしまった天蓋は優美な曲線を描いている。
あの外国人は、原爆のことを何も知らないから、きれいだなどと言えるのだ、と憤っていた私も、よく考えてみれば、自分のことは棚へ上げていた。長崎へ修学旅行に行ったときも、毎年夏になると学校で受ける平和学習も、正直、またか、とうんざりしていた。それは遠い世界の出来事で、まるで実感を持てなかった。
夫の友人に、被爆三世の人がいる。彼は、結婚してなかなか子どもができなかったとき、「もしかして被爆の影響があるのでは」と、随分悩んだという。科学的エヴィデンスはないし、今では元気なお子さんが生まれたらしいが、原爆は教科書の中の話ではなく、自分と同世代の人にも接続している。
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2016年、広島を訪れたオバマ元大統領は、スピーチの中で、原爆のことを“death fell from the sky”と言った。雨じゃないんだから、空から死が降って来たわけではない、と思った。オバマさんの立場で、「アメリカが落とした」と言えないというのも分かるのだが。死を降らせるのに用いられた機体、エノラ・ゲイは、スミソニアン航空宇宙博物館に展示されているが、詳しいキャプションは付されていないと本で読んだ。アメリカ人は、原爆についてあまり知らないのかもしれない。
しかし、2023年、「オッペンハイマー」がアメリカで公開され、話題になったのは、大きな前進だったと思う。科学者・オッペンハイマーは、原爆を開発製造したが、軍部や政治家とは区分され、あくまで科学的任務として行っており、核戦争が人類にもたらす結果については無知だったことや、ヒロシマとナガサキへの原爆投下後、良心の呵責にさいなまれる姿が描かれている。
「ニューズウィーク」2024年4月16日号によれば、原爆投下についてのアメリカの世論調査で、1945年時には8割以上が支持したが、2015年時は6割弱に減ったという。スミソニアン博物館のエノラ・ゲイについても、近く、詳しい解説がつくらしい。
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“Beautiful.”という外国人観光客の何気ない一言は、私に様々なことを考えさせてくれた。国際問題は新聞のなかにだけあるのではなく、世界は常に私の足元からつながっている。夫が、「きれいだと思うよ」と言った真意は分からない。安易に解釈して分かった気になってはいけない気もする。これからも考え続けたい。