高校生の頃、アーティストのライブの演出として、演奏中にバックスクリーンに映し出される映像が好きだった。音楽という目に見えない作品の世界観を、視覚的に表現した映像が、音楽、照明、舞台セットなどと合わさって、新しい一つの作品に生まれ変わる。五感を刺激する演出に圧倒されながら、どうやったらあんな美しい作品が作れるのだろう、作った人達の頭の中はどうなっているのだろうとワクワクした。
いつか大好きなライブという空間に関われたらいい、という小さな夢を胸に、私は大学のメディア系の学部に進学した。
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進学先の学部は、メディア系といえど、テレビから放送、映像、グラフィック、写真、出版、文章など、メディアに関するあらゆることが学べるようになっていた。私は様々な分野をつまみ食いする要領で、座学や実習の授業を淡々とこなしていった。それができるのは良いことでもあり、専門性に欠けるという欠点でもあった。
この感じではきっと、仕事にするには相当の努力が必要で、自分にはそれができるほどの実力も熱量もない。薄々気付いてはいたが、ちょっとかじってみて明確になった。「やってみないと分からない」というのは、良い意味でも悪い意味でもそうなのだった。
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単位数を稼ぐために、専攻以外の授業も受けることにした。ライティングの授業で、ブックレビューを書くという課題が出された。私はお気に入りの小説の、文庫本の一番最後によく掲載されている誰かの解説みたいなものを書くことにした。この小説はどんな物語で、どんな展開や表現があって、それに自分はどう感じたか。小学校の宿題の読書感想文を改めて書いてみるような気分で、少し新鮮だった。そこに加えて、どんな表現をすれば、他人にこの本を読んでみたいと思ってもらえるかを考慮しながら、感想文を削って、新たな色をつけて、程よい長さにまとめた。
提出した課題は、それなりの評価がついて返ってきたと思う。それよりも、評価がどうだったかを忘れるほど、私は自分の書き上げた文章になぜだかとても満足していて、やたらと達成感を感じていた。子供の頃の読書感想文が特別好きだった記憶はないのに、どうしてだろうか。でも、試行錯誤して何かを作り上げるという点においては、文章でも映像でも同じ。結局私は創造が好きなのだった。
文章を書くって楽しい。私はそれに、たまたま履修した授業のその課題を通して、たまたま気付いてしまったのだ。
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結局私は、大学卒業後はメディアとは何の関係もない仕事をしている。でも、文章を書くことは趣味として続けている。それは趣味であると同時に、自分の強みにもなった。
文章で誰かに何かを伝えるということ。的確に伝えるためにどんな言葉を選ぶか。自分の言葉を受け取った相手が、どんなことを感じ、何を思うのか。言葉を選ぶというのは、相手を思いやるということ。それを日々積み重ね、アウトプットするというのは、表現者としてとかそんな大それたことではなく、もっと身近な、一人の人として、大切なことだと感じる。
大学での学びは、仕事にだけ活かすものとは限らない。経験の先に見えるものが必ずある。
「やってみたけどダメだった」というのは逆に、「ダメだということがわかった」ということ。そう思えば、人生に無駄なことなどないのだと、今は思えるようになった。
どこで、何に出会って、どう人生が変わるか。やっぱり、「やってみないと分からない」のだ。