「おはよう」「おやすみ」のある毎日がこんなにもあたたかいものだったなんて。

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わたしは現在、山村留学に携わる仕事に就いている。親元離れてやってきた小中学生の暮らしを支える仕事だ。こういうと子どもたちと一緒に住んでいるんですか? とよく聞かれるが、自分の家は別のところにあるため、24時間常に子どもたちと一緒に暮らしているわけではない。学校帰りからその日泊まりの宿直スタッフが来るまでの時間、宿直の日は夜から朝まで、あとは子どもたちの学校が休みである土日に一緒に過ごしている。

宿直の日は子どもたちと一緒に夜ご飯を食べる。その日のおかずを作った人が代表して「手を合わせてください、いただきます」といい、みんなで「いただきます!」と食べ始める。食べながらその日学校であった話を聞いたり、なぞなぞをしたり他愛もない会話を繰り広げる。食べ終わったらみんなで「ごちそうさまでした」と片付け始める。

その後はお風呂になるのだが、お風呂に入る時も子どもたちは「お風呂入ってくるね」と報告してくれるので、「いってらっしゃい」と送り出す。順番にお風呂に入っている間にカードゲームをしたり、ストレッチをしたりして、あっという間に就寝時間の21時。子どもたちは「おやすみ!」と自分の部屋に入っていく。わたしも「おやすみ!」と返し、仕事を片付け、寝る。

朝は子どもたちより少し早く起きる。起床時間は6時半。居間にいるとドタドタと子どもたちが動き始める音が聞こえる。そして「おはよう!」と階段を降りてくる。それぞれ朝仕事をめ、7時にみんなで揃って「いただきます」。朝は学校の準備もあり時間もないので、食べ終わった人から「ごちそうさま」。そして小学生はランドセルを背負って、中学生は制服を着て、「いってきます!」と元気に学校に登校していく。

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実家にいた頃は、あいさつなんてしなかった。朝起きて親に「おはよう」というのが恥ずかしいとさえ思っていた。言うのは「いただきます」くらい。毎日の当たり前が、当たり前としてありすぎて、「ありがとう」と言うことさえ少なかった。

だが、就職を機に実家を出て、初めて一人暮らしをした。今まであった当たり前はもう何もない。真っ暗な誰もいない家に帰ってくる寂しさが毎日。初めての土地で友達もおらず、孤独感が募る。そんな暗い気持ちから救ってくれたのは、子どもたちとの生活だった。

「おはよう」「おやすみ」とわざわざ言いにきてくれる。なんて可愛いのだろう。小さなことでも自分や他の人のために何かしてくれたら「ありがとう」ときちんと言葉にして感謝を伝える。毎日に当たり前なんてない。当たり前とは誰かが自分のために作り出してくれていたものだ。そう気付くと、日常の何気ない瞬間が、他愛もない会話が、毎日のあいさつが、こんなにもあたたかい。そしてどうしようもないくらいに愛おしい。

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今日もわたしは、学校から帰ってくる子どもたちを「おかえり!」と笑顔で迎えるだろう。