気がつけばXを開いてパパ活女子のポストを見ている。
なぜ惹きつけられるのかわからない。これ以上に無駄な行為は多分ない。

◎          ◎ 

彼女たちが5個くらい持っているレディディオール。無くしてもすぐまた買ってもらえるヴァンクリのピアス。タワーマンションを買ってくれるパパ。

パパ活をやろうとは一切思っていないが、そういう生活を見ていてたまに羨ましくなる時がある。私のレールに乗った人生と、彼女たちの人生はあまりにもかけ離れていて、自由に見える。私だって生活に困ってはいないが、きっとろくに年金ももらえない将来を憂えて毎月少しでも貯金して、投資について考える日常を送っている。それを悔しく思っていたこともあった。お金があることが羨ましいというよりは、先のことを考えなくても生きられるような刹那的な生き方が羨ましかった。

◎          ◎ 

思えば、私の人生は常に「隣の芝生が青く見える」状態であった。結婚しているので自由な独身が羨ましい。もし自分が独身だったら既婚者を羨んでいたと思う。自分より仕事ができる人が妬ましい。でも私がキャリアウーマンだったら、ゆるく働く既婚女性を絶対に妬ましく思っていた。常にないものねだりだ。

夫によく愚痴った。あの人みたいになりたい、と思う相手が100人くらいいる。夫は仕方ないなあといった顔で私を諭す。そんなことを考えてもどうしようもないだろうと。

そんな生き方ばかりしてきたから、「不幸を探しにいく」ようになっていた。
なんで私は私なの?と毎日考えている。今も。
たぶん一国の姫だったとしても同じように考えていると思う。不幸になりたがりなのだ、小さい人間だとわかってはいるが。

◎          ◎ 

その一方で、私と運命共同体である夫はいつも心から幸せそうにしている。
毎日、目がキラキラしていて、すべてに感謝、といった顔をして生きている。現状に不満など、何もなさそう。

夫に、私と出会ってから何が1番幸せだった?と聞いてみた。
すると夫は、「家に帰って君がいることがいつも幸せだよ」と言った。

プレゼントをもらったとき、とか、プロポーズをして結婚が決まったとき、とか、そういう「ある瞬間」の幸せを想像していた私は、少し驚いた。その一方で、これ以上の答えはないかもしれないと思った。

◎          ◎ 

夫はなんてことのない日常を本当に幸せに思ってくれていて、私はそれが嬉しかった。そして、彼の人生を思った。家に私がいるだけで幸せを感じられる彼はどんな人生を歩んできたのだろうと。どんな寂しさを抱えて生きてきたのだろうと。

そして、私も真剣に、彼といて何が幸せかを考えた。真っ先に思ったのは、私が作ったご飯を彼が美味しそうに食べている姿。それは私たちだけが育んできた関係性で、積み上げてきた苦労も悲しみもあったからこそ感じられる幸せだと気づいた。

ヴァンクリもレディディオールもいらない。
私は結構ロマンチストなのかもしれない。だって、こんな普通のことが本気で幸せだ。
私は私に合った幸せを見つけられた。仮に夫が年間何億とか稼ぐとしても、毎日一緒にいられないのなら意味がないと思った。ただ好きな人と一緒にいられることが、どんな財産も名誉も超越していく。その感覚を知ることができてよかった。

◎          ◎ 

これが私にとって「3ミリ新しくなる」ことだった。私の境遇も過去も、何も変わっていない。これからも定期的に誰かを羨むだろう。だけど、は自分の幸せを見つけた。どんな羨ましい人が現れても、もう大丈夫、大丈夫、な気がする。

少なくとも、羨ましいという心の声に反論できるようになった。私はほんの少しだけ、世界を知った気がする。