本当は美術系の大学に進学して、デザインの仕事につきたかったのだが、私はいかんせん予備校でも落ちこぼれの中の落ちこぼれ。

まるで現役で合格できる見込みもなく、親から浪人するだけの費用を出してもらう申し訳なさもあり、結局一般の私立大学を受験することにしたのだ。

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実は法学部に入ったのにも理由はあった。

私のもう一つの夢は弁護士だったのだ。
しかし、法律を学んでいく中で、あまりの難解さと、私の自堕落な性格が災いし、とても大学院に進学できるような見込みは立たなかった。

大学4年生になった頃、私は1年生と同じくらい単位を取らなくてはならなくなっていた。

当然就職活動ができる余地もなく、ひたすら試験勉強と授業三昧の日々を送ることになる。
奇跡的に大学を卒業できることが決まった日には、私は小躍りして友人たちと喜び合ったものだ。

しかし、問題は進路である。
何も決まっていない。

ほとんどの同期達は4月1日に内定先の会社に入社する運びとなっていたが、私の場合にはその先が無いのだ。

卒業が決まった3月から就活を始めようという気にはとてもなれなかった。

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そこで考えたのが法律の知識を生かした公務員試験の受験だった。
これなら1年間就職せず、翌年の受験に備えているという体を周囲にとれるだろうと思ったのだ。

浅はかで怠惰だった私にはとても身の入らない勉強期間だったが、その月のうちにある連絡がきた。

「就職まだだったらうちの会社で一緒に働かないか?」

広告会社で働く大学の先輩からの唐突な連絡である。
こうして私は1ヶ月弱の公務員試験勉強を終えて、3月30日に社長面談を行い、4月1日から晴れて会社員となった。

しかし、この約1年後に私を誘った先輩は会社を辞めてしまったのだ。

衝撃の大事件である。
確かにとてつもないブラック企業だったため、どんどん人は辞めていた。

しかも給料は低く、とてもまともな生活ができるレベルではない。
常に人手が足りないため、一人の社員が持っている業務量も尋常ではなかった。

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当時私には事務や広告の管理と同時に簡単なバナーを制作したり、イラストを描いたりという仕事が割り振られていた。

今考えればおかしくなるほど朝から晩まで働き詰めの日々で、終電の概念などとうに失っていた。

ある日、私はデザイン業務に専念することになる。
少しだけ社内環境が改善されて、人員不足が解消されたからだ。

業務量が減ったことへの安堵と、自分が「デザイナー」として働くことができることが本当に嬉しかった。

また、企業で働く傍ら、少しずつデザインの副業を始めることもしていた。

これまた大学の別の先輩から業務を請け負って、月数万円の副業だったのだが、とても勉強になることが多く、独学でとにかく手を動かすしかない私にはぴったりの副業だったのだ。

それから数年後のある日、なんとまたあのブラック企業を紹介してくれた先輩から連絡がやって来る。

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「うちの会社来ない?」

先輩の転職先でデザイナーを探しているため、入社しないかという誘いだった。

私は即座に「了解です」と返信した。

もちろん条件など聞いていないし、そもそも誘っておいて1年で退職することもおかしなことだったのだが、なんだかこの先輩には憎めないところがある。

私はすぐに退職の準備を済ませて今の会社に入社した。

それから3年経った今、私はゴリゴリのデザイナーとして会社で働いている。
美大受験を志したあの日々の自分に今の私を見せたらどう思うのだろうか。

美大の予備校に行ったことも、法律を勉強したことも、虚無の公務員試験志望を過ごしたことも、全ては無駄ではなかったのだ。

まだまだデザイナーとしては駆け出しだが、私の学びは全て繋がっていたようである。