高校最後のインターハイでこれっぽちも結果を残せなかった私。初心者から始め、やっと上達してきたかと思ったら、初めて見るトップ層の選手たちは雲の上のような存在だった。その頃には、一般入試で第一希望の大学に入ると決めていた。
大学スポーツではほとんどの競技に「リーグ制」が採用されている。1部リーグ、2部リーグ、3部リーグとあり、私が憧れた大学は毎年1部リーグに所属し、全国大会の常連とされていた。受験勉強で挫けそうな時も、やっぱりあの大学で競技がしてみたい、と憧れていたから頑張ることができた。
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受験を何とか突破して、いよいよ憧れの大学に入学した。緊張しながら活動がはじまった。私は一般入試組で、経験者といえど初心者に毛が生えた程度の実力しかない。大学スポーツでは、よく推薦組、一般入試組と分けられる。箱根駅伝や六大学野球などの大学スポーツが好きな人には、聞き慣れたフレーズだと思う。女子の同期は私を含めて3人だった。私以外の2人は推薦組で、高校時代からトップ層で活躍してきた選手だった。同期2人は入部当初から即戦力として活躍していた。チームからも待ち望まれていた2人だった。
ところが私は一般入試組。いてもいなくても正直変わらない存在。遠征中の2人が居ない時に、1年生としての雑用をこなすくらい。しかも絶望的なまでに要領が悪く、体育会との相性は全く良くなかった。高校まではサークルのようなゆるい部活しか経験してこなかった。
体育会に入部してからは常に緊張しており、完全にメモ魔になっていた。何でもメモする癖は、社会人になった今でも続いている。推薦組の同期2人の方が器用で頑張り屋。何ヶ月も失敗も続けて、その度に優しくて要領のいい同期がフォローしてくれた。
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努力しているつもりが何度も空回った。指導係の先輩には「仕事のできない、やらない1年生」と思われていた。事実だったと思う。
お荷物の一般入試組。貴重品の管理も5時半起きの生活も保てなくなった頃、親に頼み込んで精神科に連れて行ってもらった。
ASDと ADHDの診断が降りた。それまで幾度となく頭をよぎってきたことだけど、真面目さでカバーしていた。診断が降りた日は、母親が運転してくれる車の中で、涙を流した。
診断が降りてからは、薬を飲んで、週1のカウンセリングに通いながら体育会の活動を続けていた。同期からもありがたいことにフォローをしてもらいながら、活動を続けることができたし、リーグ戦にも出してもらう事ができた。
活動しながら、大学スポーツで怪我や体調、メンタルの調子を崩して退部してしまう学生が珍しくない事もわかってきた。自分が精神科に通っているから意識したことでもある。
幹部年として部をまとめる学年になった年、私は資格取得のために休みの日にも講義を入れてしまった。ただでさえ忙しいのに、朝5時に起きて練習に行き、早退して大学の講義を受け、夜に帰って次の日のリーグ戦の準備をする。勿論リーグ戦の当日は早朝に家を出る。この時点で詰め込み過ぎのスケジュールだ。
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当時はいわゆる躁状態のようになっていて、自分のキャパシティも考えられなくなっていた。病院は忙しさで不注意が加速し、数回診察の予約をすっ飛ばして、行きづらくなって勝手に通院と服薬をやめてしまっていた。家に帰ると、アルコール依存が悪化していた父に絡まれ、怒鳴り合いやビンタされたり蹴られたりなどの喧嘩や暴力を我慢しなければならず、精神状態も悪化した。不眠も続いていた。ホルモンバランスの影響か、生理前には体調や精神状態が崩れて話にならなかった。
またこの年は夏に入ってから、自分だけが練習の暑さに耐えられないことに焦っていた。みんなこのくらい耐えてる、頑張ってる。それなのに自分はついていけてない。自分だけ日陰で休んでる。クーラーのある部屋で涼んでいる。完全にお荷物だ。インカレの予選当日には熱中症で倒れ、救急車で搬送された。そこからどんどん自分のメンタルがおかしくなっていく。
もはや、まともに体育会の活動ができる状態ではなかった。色んな人に優しさから休みなさいと言われているのに、「この夏が勝負なのに。国体の予選だってある。どうして休まなきゃいけないのか?」と反論した。今思うと恐ろしい。「みんな私が邪魔だから排除したがってるんだ」と泣いていた。やはり、メンタルは通常の状態ではなかった。
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結果的に、私は体育会を退部することになった。自分の振る舞いは相当酷いもので、色んな人を巻き込み傷つけた自覚がある。今でもずっと後悔している。
退部した後、学内のメディアで取り上げられる同期のインタビューを読む。「私たちは同期が2人しかいなくて。それでもお互いに切磋琢磨してきました」終わりまで全部読んだ。素敵なインタビュー記事だった。心の中でいいねを押した。
私は居なかったことになっている。でも仕方がない。だって、全て自分が招いた結果だ。体育会を辞めてからしばらくは、依存症の父がいる家に帰らずに済むよう、夜遊びをした。といっても、それまでは早起きできなくなるからと避けていた友達とオールで遊ぶことや、翌日の練習に響くからと飲んでこなかったお酒を飲むようになったくらいだった。今思うと、この妙な生真面目さがメンタルの調子を崩した一因かもしれない。
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これは私の大学スポーツでの挫折の物語だ。体育会に一般入試組として入部した私に突出した才能はなく、むしろハンデとなる特性があった。暑さに弱く、フィジカルに優れていたわけでもなかった。家庭環境も悪い方に影響したかもしれない。こんなの珍しいことではない。もっと大怪我をして選手生活を諦めざるを得なかった選手や、経済状況が悪化して退部する学生がいる。スポーツにはお金がかかる。
私は大学スポーツを見るたびに、「居なかったことになった」人のことを思う。なかったことになった、自分の学生生活の数年を思い出す。全国大会に向けて本気になった数年間を思い出す。そしてそっと、距離を置く。