「あの時、本当は『懐かしいな』って噴き出しそうだったのよ」と母は笑う。私は呆気にとられた。

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28歳で実家を出て、同棲生活を始めた。だからと言って、実家の家族と疎遠になったわけでなく、頻繁に帰省もするし、長電話もする。帰省すると、母や弟とは深夜まで話すため、むしろ実家を出てからの方が、絆はより深まった気がする。そんな中での冒頭の母の言葉である。

小学校5年生で難病潰瘍性大腸炎を発症した。潰瘍性大腸炎は、大腸の内部にびらんや潰瘍ができる難病であり、その症状は血便を伴う排便や、激しい下痢、そして腹痛やおならを頻発するものである。
そう、おならである。このおならの頻発が私の人生を大きく変えるのである。

私は、罹患する前は、真面目で正義感が強く、成績良好な「The・学級委員」タイプであった。しかしそんな堅物が、どこでもいつでも何度でも誰の前でも、おならをぶっ放す女に変わったのである。そんな異物を、小学校男子が見逃すはずがない。クラスメイト全員の前でおならをこく私は、すぐにいじられキャラとなった。

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「ゴリラ」「ブス」は日常の挨拶のようになった。「ゴリラ」と呼ばれると、「ウホッ」と叫び胸のドラミングまでする私の返しは、周囲の笑いを誘って、いじってきた男子たちを満足させるものであった。

「ブス」とからかわれても、大抵の場合は「この美貌が分からないなんて病院行きなよ、あ眼科じゃなくて脳外科ね」などと、今返せば倫理観ぎりぎりの返しをする私は、いつも笑いの中心にいた。難病からくる「おなら」という症状を、同情を買って笑いが生めなくなるのは嫌だと、誰にも事情を打ち明けなかった。むしろ「いじられておいしい」と人気者にのし上がる材料にした私は、なんて逞しく健気だったのだろう。

それでも、心のコンディションが悪く、いじりに冗談で返せないときもあった。気分が落ち込んでいるときに、「ゴリラブス」と何度もしつこく言われると、つい涙目になってしまうこともあった。そんなときいじってきた男子たちは「約束と違うじゃん」という顔をして、退散するのである。そして、当時好きであったAくんが私をからかってきたときも、笑うふりをして、恋愛圏外の女の子になったことを察して、1人トイレで涙を流した。

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その日もいつものようにクラスで散々といじれ、全てを笑いに変えた。しかし帰り道の途中で、つい色々思い出してふと泣いてしまった。家に帰ると泣き顔の私を見て、母が「どうしたの」と血相をかかえて走り寄ってくる。

「ゴリラブスって呼ばれているの」と打ち明けると、母は少し複雑な顔で「そっかあ、辛かったね。ココア飲む?」と温かいココアを作ってくれた。娘が泣いているのに、もっと怒らないのかな、と少し不満に思いながら、ココアを飲んだ。そして母と色々な話をしているうちに、涙は乾き、さっきと打って変わって明るい気持ちになった。

そして現在に至る。母はあの私の涙の理由を聞いたとき、本当は懐かしかったのだ。しかも噴き出しそうになるほど。「噴き出しそうになったってどういうこと?」と笑いながら母に聞く。今度はミルクティーの温かいのが入ったマグカップを両手で包む。

「懐かしいなあって。私も小学生のときブスっていじられて、泣きながら帰ったことが何度もあったからさ」と母は言う。

「でもね」と母もミルクティーを一口すすって続ける。「大人になって、いつの間にか顔の美醜なんてどうでもよくなるくらい、毎日が楽しくなったの。だから、小さな世界で小さなことで悩んでいるまよが、懐かしくていじらしくて可愛くて、つい噴き出しそうになったの」。

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周囲の人間曰く、私は母とそっくりらしい。低い身長、たぬき顔、胸がでかくウエストがくびれ大根脚という、分かりやすい骨格ウェーブ。そして見た目より何より、せっかちで義理人情に厚く、何事にも積極的にアクティブに挑戦するその性格が、そっくりなのだと。

母は、美人の姉妹に挟まれ、幼い頃は見た目で悩むことが多かったという。しかし、夢であった看護師になってバリバリ働き、休みの日はNGO団体活動に熱中し、国内外の旅行に飛び回り、そして父と出会い、3人の子どもを育てた。

育児家事仕事に忙しい生活20数年ののち、子どもに手がかからなくなると、現在は通信大学に入学し資格取得のために勉強に励んだり、ボランティアなどに精を出している。娘の私から見ても、超アクティブで、広い世界で生きている。

そして私も母の言葉を聞いて思い出した。昔は自分の顔を映った鏡を衝動的に割ったり、整形したいほど自分の見た目を憎んだり、痩せるために過激なダイエットをし過ぎて生理が止まったりした。醜形恐怖症の節があったと思っている。

しかし広い世界で様々なことを経験していくうちに、見た目のことで悩むことは少なくなっていった。もちろん、ゼロではないが。今は「ブス」「デブ」と言われのはまだ良いが、「面白くない」「つまんない」と言われる方が怖いほどである。いつの間にか、笑いに対して芸人のようなストイックさを身に着けているのである。

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「確かにそれは懐かしくなるね。私も今どちらかというとどうでも良いもん」と私も返す。
「でしょ?歳取るのも悪いことばっかりではないのよ」と母が返し、私たちは笑い合った。

今回のエッセイを書くとき、「わたしと『母親』ってテーマなんだけど、何思い浮かぶ?」と恋人にアイディア出しを頼む。夜のお散歩の時間にである。彼は一瞬考え「じゃあ、お母さんってどんな人なの?」と尋ねる。「すごい人だよ」と自然と言葉が出てくる。

母に似ていると言われる私は、母のようにすごい女になれるのか、すごい妻になれるのか、すごい母になれるのか、すごい人になれるのか。「なれると良いな」と言う私と、「なれるよ」と言う彼を、月が優しく照らしていた。