英語学科を卒業した私は、今保育士をしている。なぜ、どうして。自分でも今こうして仕事の休憩中に子供の声を休憩室の外から聞きながらこのエッセイを書いていること不思議に思うときがある。それくらい、人生は何が起こるかわからないことだらけだと身にしみて感じている。

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私は中学の頃から英語が好きだった。特に英文を書くという行為が好きだったのだと思う。洋楽も好きだし、何よりも中学の頃英語を教えてくれた恩師があんなにも滑らかに発音し、キラキラした表情をして授業をしているのを見ると、なんだか言葉にならないくらい圧倒されたのだ。

これからもずっと、英語と関わっていたい。そんな気持ちが高校生になっても持続して、案の定卒業後は英語学科を志望した。そして家から近い私大に進学した。
キャンパスライフはとても充実していた。だけど、根気も熱意もやる気も次第に失せていった。留学をしたいという野望もなく、なんで英語を学んでいるのかもわからなくなるほどだった。唯一塾でのアルバイトで中学生や高校生に英語を教えていたから、私は英語と離れないでいられたし、キャンパスライフよりもバイトで教えている時間の方が自分が役に立っている感覚があって、自分が教えている子が目に見えて成績が伸びたりと、結果が数値として現れることがうれしかった。やりがいだったのだ。

4年生になったころ、私は周りの誰よりもマイナビのアプリをインストールするのが遅かった。億劫だったのだ。嫌なことを考える時間でさえも嫌。私はこんなにも現実逃避をする性格なのだと我ながら驚いた。

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ころ、周りはどんどんインターンだの面接だのと進んでいる。親友に言われた「このままじゃはっきり言ってあんたやばいよ」という言葉がぐさりと胸に刺さり、本格的に自分と見つめなおすことわずか3時間。

私はその3時間で「子供と関わる仕事」という大本の軸を決めた。今考えてもこの選択が正解だったのか不正解だったのかは分からない。だけど、一度この道を選んでいなかったらきっとおばあさんになっても後悔するだろうという未来は見えた。

「合わんかもしれん、けどやってみるわ」私がそういうと、大学の友達はこぞってこうった。「あんた資格ないじゃん、どうすんの?(笑)」

「資格独学でいけるっぽい。あと半年しかないけど就職までにとってみる」

決断したのはもう夏が始まろうとしていたころだった。世間にはもう内定も出た子もいたのであろう。私はこれから資格の勉強をするところだった。

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それからというもの、高校時代の部活などで培った反骨精神を生かして机にかじりついた。アニメ、ドラマ、様々なものから影響を受け、一番自分のモチベーションを高めてくれたのはジブリ作品の『耳をすませば』だった。主人公の雫ちゃんがすべてに没頭して物語を書くことに没入するシーンに、私は「これだ」と思った。学びとは、没入だ、と。
それからのことをこと細かに語るのは難しいが、とにかく資格の勉強をしているときは「人生を無駄にしていない」という感覚があった。自分の興味のあることに、まっすぐに進んでいる感覚は紛れもなく青春だった。

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今、保育士3年目になり様々な経験をしてきたけれど、私は一度保育士という仕事についてみてよかったと心から思っている。この経験は次のステップに上がるときにも必ず役立つと実感している。骨が痛いほど体力的に疲れる日や、子供の一言に笑う日々も、雨の日も風の日も出社することも全部自分自身のためなのだと思って働いている。

子供の一言で子供の頃の楽しかった記憶を思い出すことができるのもこの仕事の醍醐味だと思う。今日も私も私がこの職場で働くのは、まぎれもなくあの日保育士になるための学びを継続した結果なのだと感じる。