ずっと志望していた薬学部に晴れて入学した私は、無限にある薬の名前と作用機序に苦しめられながら、悩んでいる。私が選ぶ道は本当に薬剤師でよかったのかと。

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入院している家族や親せきの側で活躍する薬剤師を見て、格好いいと思った。医師や看護師が注目されがちだけれど、特に、手術ができる体力のない高齢者の治療・緩和は薬によるものが多くて、私はそれに惹かれた。終わりよければすべてよしではないが、人生の最期をよりその人らしく過ごすために必要な薬の専門家であるということは、あらゆる可能性を秘めた職業のように思えた。

「“表向き”では医師や看護師と対等」そんな言葉が胸に引っかからないでもなかったけれど、私は、私が信じたいように捉えて余計なことを排除して、受験勉強だけに集中した。

入学して、実際の薬剤師に話を聞くことも増えた。みんな、薬剤師は薬のエキスパートだと自分の仕事に誇りを持っていた。けれど、あまりにみんながいい話ばかりをするから、話を聞くほどに心の中の私が言う。
本当に?と。医師や看護師は患者から感謝されるのに薬剤師は?感謝されないのには理由があるんじゃないの?調剤なんていずれAIやロボットが取って代わるようになるんじゃないの?

感謝されるための仕事ではない。頭では分かっている。でも、頼られたい、認められたい、私でも誰かの役に立つんだという実感が欲しい。そんな欲を持つのは悪いことだろうか。

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就職についてより考えるようになって、病院だけでなく製薬企業、ドラッグストアなど他の就職先についても調べた。

その中で、病院薬剤師の年収は他の就職先に比べて圧倒的に低かった。せっかく国家資格をとっても一般企業と大して変わらない年収。お金のためだけに働くんじゃない。でも、腑に落ちなかった。納得できなくて、理解できなくて理由を調べた。

「病院の中では人件費を削りやすい職種だから」

行き着いた答えはあまりにやるせなかった。病院によっては、科によっては、あるいは専門性の高い人なら、薬剤師もちゃんと頼られているのだろう。でも、私が目指す職種の年収という分かりやすい指標において、こんなにも薬剤師の価値が低いかもしれないということを考えると、なんのために今も必死に勉強しているのか、この学びの先に何があるのか見失ってしまいそうになる。

決してお金のためだけに働くのではない。決してやりがいだけのために働くのでもない。私は欲張りかもしれない。もう、“将来”と言えるほど遠くない未来なのに、私はまだ、夢を見ているのかもしれない。でも、少しでも、数年後の自分が、薬学部で学んだことを生かして、持っているカードの中から良さそうと思える場所を選べるように、数十年後の私が、この道を選んで良かったと思えるように、あのとき必死に勉強した甲斐があったと思えるように、ただ今は勉強する。

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今は自信を持って言えない。誇りも何もない。でも、この学びの先に何があるのかは、いつか必ず、私が自分で決める。