趣味、謎解き。
謎解き、というか最近だと脱出ゲームといった方が耳馴染みのある方も多いかもしれない。
脱出ゲームとは、密室に閉じ込められたプレイヤーが知恵・閃きを駆使して脱出を目指す参加型謎解きゲームのことだ。
2010年代から徐々にそのブームは加速し、現在は複数の謎解き団体が各地で様々な公演を行っている体感型ゲームである。
そんな謎解きと私の出会いは今から10年以上前に遡る。
当時大学生だった私は友人の誘いでSCRAPが開催するリアル脱出ゲームに参加した。原宿の半地下のどこか怪しげな会場で行われたそのゲームは60分という制限時間の中で難攻不落の牢獄から脱出を目指す、というもの。
導入の緊迫した演出から始まり、テーブルの上の大小さまざまな謎や情報を整理して、チームメイトと脱出を目指す感覚は、迫りくる制限時間や音響・照明効果と相まってとても刺激的であっという間に私たちは夢中になった。
◎ ◎
もちろん初心者の我々が物語に仕掛けられた最大の謎に気づくことが出来るはずもなく、初めての脱出ゲームは失敗に終わる。
しかし、その悔しさがクセになり、私たちはまんまと次の脱出の予定を立てていた。すぐにやってきた2度目の脱出の機会。今度は実際の部屋から脱出を目指すルーム型の公演だった。凝った装飾、室内を文字通りひっくり返す臨場感はまるで物語の主人公になったようで、私はリアル脱出ゲームというものの虜になった。
アルバイトで稼いだお金の大半をつぎ込んで公演に参加し、SCRAPだけに飽き足らず別団体の謎解きにも手を出すようになっていった。
今年で謎解き歴も10年を超える。もはや立派な趣味だと思う。謎解きのセオリーなんかもわかってきて大抵の謎はサクサク解くことが出来るようになってきた今日この頃。
なんて書いていることからもわかる通り、私はちょっと調子に乗っていた。
その日、私は相も変わらずその友人と謎解きに参加することになっていた。挑戦を予定していたのは周遊型と呼ばれる謎解きで、街中に散りばめられた手がかりを元に自分たちのペースで散策も楽しみながら謎解きが出来るというもの。
昨年まで、コロナだ仕事だとお互いの予定がなかなか合わず久々に挑戦する謎解きだった。
謎解き欲が高まっていた私は、キットをざっと見て、友人に『高難易度コース』への挑戦を持ち掛けた。
高難易度コースとは、散策なんていいから謎解きを楽しみたい!ありきたりな謎は解き飽きた!という玄人向けに作成されたコース。謎解き歴10年。数々の謎に挑戦してきた我々なら、いくら高難易度といっても想定時間内でクリアすることが出来るだろう。その時の私は根拠のない自信に満ち溢れていた。
◎ ◎
序盤、予想通り我々の走り出しは好調だった。チェックポイントに早々にたどり着くとほとんど悩むこともなく答えを導き出し次へと進んでいく、移動の道すがら暫く会わなかった間の世間話に花を咲かせる余裕すらあり、何が高難易度か、これだったら謎解きを梯子してもよかったかな?と思う程順調に謎解きは進む。
雲行きが怪しくなったのは4つ目のチェックポイントにたどり着いたころだった。その場で解くべき謎を見た私は固まった。このコースの目玉として用意されたその謎は、よりにもよって私の一番苦手とするタイプの謎だった。
一度分からないと思った途端、私の脳みそは考えることを放棄しはじめた。頭は真っ白。隣をみてみれば友人は「難しいなあ」と言いながらも着々と問題を解き進めているように見える。
開いていく進捗差に焦りは増す。焦れば焦る程どうしていいかわからない。さらに悪い癖が出て「わかんない、こんなんどうとでもなるじゃん?」と投げやりな愚痴ばかりが口から出てくる始末。
1時間後、遂に完答した友人の横で私は1つも進んでいない問題にパニックになっていた。
最初はなんだかんだとヒントや解き方を教えてくれていた友人も、私が考えることを放棄してうだうだしているのに業を煮やしたらしく(それはそうだ。なんせこのコースを選択したのは私だ)段々とイライラし始め空気は最悪。
その空気が自分のせいだとわかりつつどうしていいかわからず余計に頭が真っ白になる私。
始めたばかりの謎解きがこの後どのくらい時間がかかるかもわからない。
◎ ◎
そんな状態でイライラが最高潮に達した友人は私にこう吐き捨てた。
「頭で考えてるだけじゃなにも進まないんだよ。とりあえずやってみて違ったら、この道は違うんだ。じゃあこっちか、って潰していくんだよ。私たちは天才じゃないんだから」
ぐうの音もでなかった。
いたたまれなさ全開の私の心にぐっさりと友人の言葉が突き刺さる。結局、その問題を私は完答することが出来ず、友人に答えを教えてもらって次のチェックポイントに向かった。気まずさはあり、大幅に時間はかかってしまったけれどなんとかその日のうちに謎解き自体には成功することも出来た。
成功しさえすれば多少のわだかまりは薄らぐようで、友人とはまた次の謎解きに行く計画も立てている。しかし、あの日の友人のその一言はいまだになんだか私の心にがっつりと大きな足跡を残しているのだ。
それって謎解きだけじゃなくて、私の生き方にも通じるなと。
感性、感覚、フィーリング。それらで対処できない物事にめっぽう弱い私。
弱い上に、立ち向かおうとせず逃げてしまう私。
それって、成長が無い、ということで。
みんなどうやってそういう難局を乗り切ってきたんだろう、と思っていたけれど、順当な失敗の積み重ねでここにいるんだな、ということがその一言ですとんと、私には腑に落ちた。
もしかして、そうやって進んでいけば私もまだ成長できるのでは?
無理だと諦めていたことが出来るようになるのでは?
そう思えた今、あの日の私より今の私は3ミリきっと、新しい。