いつも「何よりも行動すべし」と動いてきた私は、2022年の冬、20代半ばで全く動けなくなった。
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私にとって動く活力であった安心材料が、一気に離れていった。
それはまるで、揺れの始まったジェンガのように、ちいさなひとつひとつのパーツが、私から抜き取られていった。ついに、バランスが取れなくなって、一気に形が崩れると、好きだったことや、かろうじて持っていたちいさな自信すらも、完全に見失ってしまった。
すこし先の未来を考えることすら、とても怖くなった。「未来の自分はきっと、かろうじて息をしているんだろうな」そう思っていた。
もがいてみても、また元気がなくなってしまう。そんな日々がつづき、「ここはきっと深海なんだな」いつしかそんな風に思うようになっていった。
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なにしてもだめなら、いっそ私の中に閉じこもってしまおう、と考えた。
好きだったけど、あまり読めていなかった本。
観たかったけど、時間を割けなかったドラマ、など。
私から発する「したい」に正直になって、ちゃんと叶えてみようと思った。
なんでもいい、なんでもよかった。
ただ、ちょっとでもいいから、私をまた見つけたいと思っていた。
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ある日、そんな私に、そっと手を差し伸べてくれるような、そんな言葉に出逢った。
女性4人が、それぞれ旅をする模様を描いた、短編から成る、1冊の小説。そのなかで、登場人物が父に言われたセリフに、私もハッとした。
「そんな『線』は、どこにもない。もしあるとしたら、それはお前が勝手に引いた線だ。いいか、そんなもん、越えていけ」
目頭が熱くなるのを感じながら読み終えると、「この線はこの主人公だけじゃない」という言葉が頭を横切った。ハッとして、今までを振り返ってみた。
仕事がわからなくて、「これは私にはできない」とひっぱった線。
もう未来なんてどうでもいい、どうにでもなれとひっぱった線。
たしかに。私も越えない線を、勝手に引いてしまっていたのか。
もしこの言葉に出逢えていなかったら、私はこれからも線をたくさん引き続けていたんだろうか。
そう思うと、この言葉に救われた、と思わずにはいられなかった。
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言葉に救われる、そんな日々がながれ、ふと、考えた。
深海の期間のとき、少しだけ考えた未来の自分。「きっと、かろうじて息をしてるんだろうな」と思っていた。
だけど、だけどさ、全然違ったよね。そう気がついて、自分に問いかけてみた。
本たちから溢れる、救ってくれる言葉。胸を刺してくるセリフ。
言葉から見える、美しい世界。
それらに触れるのが、たのしくてしょうがなかった。
ずっと流れる景色をただぼんやりと眺めていた、毎日の通勤時間は、今じゃ音楽をカフェ風BGMにして本を読むのがお決まりになるほど、気がつけば本に、言葉に夢中になっていた。
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2024年7月。今日も変わらず、私はいろんな本を読んでいる。
未来を怖がっていた過去の私も、今、ちゃんと心から笑えている。
深海だった期間のことも、あんな時もあったなあ、と思えるようになった。
未来は、ほんの小さな出来事をしていくだけでも変わる。
ほんの小さな出来事の積み重ねで、私についてわかったことがある。
それは、「言葉が好きかもしれない」ということだった。
私は思う。ちゃんと過去の私に伝えてあげたい。「あの時のあなたがいるから、今ちょっと成長を感じられている私がいるんだよ」と。
そして、もし今これを読んでくれているあなたが、深海のような場所にいるのなら、大きな声で言いたい。
「いつか絶対『よく頑張った』と思える日が来る」 と。
私もだれかを救える言葉を紡げたら。そう思いながら、今書いている。
そんなこと、過去に一度だって考えたことすらなかった。
過去も今も、他のだれでもなく、私自身であることに変わりはない。
ただ、ちょっとだけ違うとしたら、前よりも世界が輝いて見えることだ。