最近、すこぶる調子が悪い。身体的に、特に精神的に。
感情の波が自分でも想定不可能で不安定になり、それにつられてか毎日体が重く感じる。

もともと心療内科に通っていた私だったが、久しぶりに病名が変わった(担当医がコロコロ変わっていたため、病名が人によって変わることは私にとっては珍しくなかった)。

これまで名前のついている病気と診察されて、不安よりも安心の気持ちが強かった。病名をきっかけにインターネットで症状や対処法を調べることで知識が増え、心の安心材料が増える。今回病名が変わっても、いつも通り対処できると思っていた。

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診断結果は、あえて具体的には書かないが、発達障害だった。
なるほど。これまでの私の言動や体調を振り返ると納得の結果だった。いつも通りインターネットや文献を駆使して、発達障害と向き合う術を探せるはず。

発達障害は遺伝性で、両親の片方と私の共通項を鑑みると、「そりゃそうだよな」と腑に落ちた。親も発達障害だったのかも知れない。そういや友人に発達障害の子がいたな。その子はうまく過ごせているから、私もなんとかやり過ごせるだろう。
そう思っていた。

しかし、発達障害だという事実は思った以上に私自身を蝕んでいた。
診断されてから、なぜだかイライラしてしまうことが増えた。今まで気に留めなかった些細な事象をはじめ、明らかな苛立ちを感じると制御するのに精一杯なくらいまで怒りの感情が昂ってしまうようになった。

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例えば、1年ぶりに会う大学の同期との待ち合わせに、彼女は40分以上遅れた。予約していたカフェレストランでの合流だったため、何度も催促し、予約がキャンセル扱いにならないかヒヤヒヤしながら待った。

ようやく彼女が来たと思ったら、「シャワー浴びてた」とヘラヘラ言ってきた。この時、初めてはらわたが煮え繰り返るという感情に陥った。その後も、「ダイエットしてる?」とか「あえて正直に言うとね」とか、普段なら流せる会話の内容も許せなくなった。私は我慢できず、涙を溜めて無理やり彼女と別れた。今現在、彼女のLINEはブロックしたままだ。

職場でも取り乱してしまう出来事があった。とある職場全体のミーティングにおいて、私が自分の部署の担当として毎回出席していた。俯瞰的に考えて意見を述べたり、議事録をまとめて不参加の部署のメンバーに共有していた私は、そこそこ頑張っていたと思う。
しかし、業務の一環で実施した部署へのアンケートの自由記述欄に、先輩からこう書かれていた。
「急にアンケートに答えろとか迷惑だ。もっとしっかりとした体制で仕事をしろ」
回答を見て、周囲の職員にバレない程度に号泣してしまった。あまりにも悔しくて申し訳なくて、何より理不尽だった。
上司や先輩が出席する意欲を見せないから私が出席してるんだ。他の部署は私より上の役職の人しか出席していないのに。サボってるのはお前だろ。
私ははち切れた。その日は早退し、翌日も有給をもらって休むことにした。

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帰ったその日は取り乱していた。検索エンジンの窓にひたすらネガティブワードを打ち込む。私の発達障害の診断名を入力すると、「迷惑」「付き合いたくない」「身勝手」という文字ばかり目に入る。そうか、私はいない方がいいんだ。そう思いながら、涙を流して眠りについた。

仕事をサボった日。厳密には有給をもらった日。暗いことを考えすぎないよう、「なんとなく」と「思いつき」で過ごした。
朝。コンビニの何かが食べたくてコンビニへ行く。2店舗ハシゴした成果、気がついたら心地いい散歩をしていた。帰宅後、隠れていたネガティブな気持ちと眠気が私を襲い、逃げるようにめの仮眠をとった。

昼。思いついて映画を観に行った。ショッキングな内容だったにもかかわらずスッキリ鑑賞できたのは、時間帯の影響かもしれない。今まで忙しい時間の合間を縫って映画を見ていたが、きっとこの時間帯に映画を観るのが私は好きなんだろう。鑑賞後は古本屋を2軒ハシゴした。本と向き合う時間は私にとっての癒しだ。

夜。熱めの湯船にゆっくり浸かる。よく本を持ち込んでいたが、この日は何も持ち込まずひたすらぼーっとしていた。心の中の黒いものが溶けていく。

入浴後、私は本棚に立てかけていたノートをパラパラとめくった。そのノートには自分の中で記録として残しておきたいメモが清書されており、私がこれまで書いてきたエッセイの下書きや採用時の本文も載っていた。

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エッセイを通してこれまでを振り返る。
あの時も大変だっただろうに、よく乗り越えたなあ。自分ってこんなものに癒されてたんだ、すっかり忘れてた。そういえば、調子が悪くなったのって、エッセイを書かなくなった頃からかもしれない。

迷い込んだ私に必要だと思い、今、再びエッセイを書いている。
昔の私ができたことは、きっと今の私もできる。過去の自分は今の私を励ましてくれることもある。これまで病気の対処法ばかり調べてきたが、私は「私の対処法」をすでに持っているのだ。
これまでいろんな道を歩んできた。遠回り、近道、いろんなところで迷子になった。きっと今後もその繰り返し。
それでも、3ミリでもいいから、軌道修正してまた歩き始めよう。