いつからだろう。
口から出る言葉が、「ありがとう」よりも「ごめんね」が多くなったのは。
これまでの人生を思い返してみても、別に何か大きな事件があったとか、家族関係が複雑だとか、そんな記憶はないけれど。
小学生、中学生の時は、根拠の無い自信に満ち溢れていて、怖いもの無しだった。
もちろん嫌なこともあったし、嫌いな人もいたし、人間関係において人並みには悩みもあったけど、友達も比較的多いと思っていたし、友達を作ることが得意だと思っていた。
中学生になって、他の学区の子も増えて、部活も違えば、クラスが違う子とも、毎日のように手紙交換をしていたり。友達の友達も、友達だと思っていた。
しかし、高校、大学と年齢を重ねていくと、人間関係、友人関係で上手くいかなくなることも増え、思い通りにならずに、段々と根拠の無い自信は、削がれていき、大分小さくなってしまった。
◎ ◎
人見知り、緊張、コンプレックス。
あれ、私がやりたいことって何だっけ。
私ってこんなに繊細だったっけ。こんなに、生きづらかったっけ。
高校では中学で仲の良かった友人がことごとく他の学校に進学してしまい、部活動では、先輩には恵まれたものの、同性の同期がいたりいなかったり。先生ともソリが合わず。毎日楽しそうなクラスメイトへの羨ましさばかりが募っていき、悶々としていた。
楽しい学校生活とは程遠かった。
どこか違う世界へ行きたくて、行きたい学部があったということもあるけれど、地元の同級生が殆どいない県外の大学に飛び出した。
全く新しい生活が始まり、小中高と全く違った環境に戸惑いながら、興味のあったサークルに入り、授業を受け、少しづつ大学生活に慣れていった。
それでもすっかりしぼんでしまった自己肯定感が直ぐに戻ってくることも無く。
むしろ、慣れるのに大分時間がかかった。
◎ ◎
そんな大学生活のある日、同じサークルの同級生、まだ友達と呼べるかも分からないくらいの関係性、その子に言われた一言が数年経った今でも、未だに心に残っている。
その時、何をしていたかもはっきりと覚えていない。その子と2人でいて、車でどこかへ送ってもらうとか、何かをしてもらうとか、そんなタイミングだったと思う。
本当に日常のささいな瞬間。
何かをしてもらうことに対して、「 (手間をかけちゃって)ごめんね」、といったニュアンスで伝えると、
「○○ちゃんっていつも、ごめんって言うよね。そこは、素直にありがとうでいいんだよ」
自信が無くて、いつも、迷惑を掛けてごめんね、私なんかのためにごめんね、っていつの間にかそういう思考になっていて、ごめんねが口癖になっていた。
気を使っていたつもりだった。褒められた時も、そんなことないよって、謙遜することが当たり前だったから。
そんなほんの一言だったけど、必要以上に自分自身を卑下していた自分と、そっか素直にありがとうって言えばいいんだなって気づいた。
◎ ◎
もちろん、それまでも感謝を伝えなかったという訳ではなくて、いつのまにか、ごめんねと言うことが増えていたということ。
ありがとうって相手に対して感謝を伝える言葉だけど、それと同時に、自分のことを認めてあげることでもあるのかな。
そんなに大きな出来事ではなかったけれど、その時を境に、少し意識するようになった。
何かしてくれたら、ありがとう。褒めてもらったら、そんなことないけど、ありがとうって。
そのことによって劇的に性格が変わったとか、人間関係が良好になったとか、実感する程の大きな出来事はないけれど、少しだけ肩が軽くなった気がした。少しだけ、生きやすくなった気がした。
もしも伝えられる言葉に限りがあるとするなら、「ごめんね」よりも「ありがとうを周りに多く伝えられたらいい。そうありたい。
だから、ありがとう。
きっかけをくれて、気づかせてくれてありがとう。