私は恋愛に興味がない訳ではないが、経験が乏しい。異性を好きになったことがない訳ではないが、その経験は少ないし、仮に好きになったとしても気が付けば冷めていることがある。

しかし、近頃時折耳にする「蛙化現象」といったものではなく、特に相手の嫌な言動を目にした訳ではないのに、いつの間にか恋愛感情が消えているといった具合だ。未婚の友人と将来結婚したいか、子供は欲しいかといった話をすることがある。私がよく口にするのは、「パートナーは欲しいが子供はいらない」といった内容だ。

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それは必ずしも結婚つまり入籍したい訳ではなく、いわゆる事実婚の状態でも良いことを意味している。私は一人っ子なので老後を共に過ごせるパートナーがゆくゆくは欲しいという願いがある。ただ、子供は欲しいとは思わない。

単純に子供が好きではないし、自分やパートナーとの時間を大切にしたいからだ。友人の一人は職場の人に良いお相手がいないのかなどと茶々を入れられることがあるそうだ。それが良いのか悪いのか受け手によって様々だが、人それぞれの恋愛のカタチがあって良いと思うし、それは当然のことだと思う。

最近ではマッチングアプリが世を賑わせているが、もちろんそれを利用して素敵な出会いを見つけるのも良し。あえて特別なアクションを起こさず、自然な出会いに委ねるのも良し。

もっとも、自然な出会いがないから、誰しも苦労するのだが。いずれにしても恋愛は第一として自分の幸せのために存在すべきだと思う。つい最近、それを強く実感した出来事があった。

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今年の5月、母方の祖父が入院した。元々血圧が高く、心臓が悪いのだが、かなり具合が悪い状態だった。私は両親とともに、祖父のお見舞いに行った。祖父とは3年くらい会っていなかったので、久々の再会だった。病室に入ると、私が3年前に見た祖父の姿からずいぶん雰囲気が変わっていた。顔つきも細くなっていた。

具合が悪く、あまり食べていないようだった。祖父は自身の命の危機を感じているようだった。祖父は私の顔を見て嬉し涙を流していた。と同時に、今度は悲しそうにこう述べた。「〇〇ちゃん(私の名前)の結婚式に参加できそうにない。残念や」と。私はその言葉を聞いて複雑な気持ちになった。祖父はそんなことを思っていたのか。

私は近々結婚する予定もないし、将来は誰かと結婚するつもりなどといった話をしたこともないが、祖父は心の中で私が将来結婚するイメージを持っていると気付いた。祖父の言葉を受け止めると純粋に悲痛な想いだった。

しかし、結婚は誰かを喜ばせるためにするものではなく、自分の幸せのためにするものだと心の中で思った。結婚するかどうかは私自身が決めること。もちろん子供を産むかどうかも同様に。祖父は決して私に結婚を強要している訳ではない。よって、祖父の言葉にそれほど重みはない。しかし、祖父の言葉がきっかけで結婚や恋愛のカタチについて深く考えることができた。

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一概に恋愛といっても様々なカタチがある。どのカタチがピッタリかは人それぞれだし、自分の年齢やその時の感性によっても違ってくるだろう。最近では、選択的夫婦別姓のワードも世に浮上している。恋愛は自分がまず幸せでなくては元も子もない。

無事退院した祖父に私の花嫁姿を披露する日が来ることはあるのか。それは私にもわからない。いずれにしても自分にとってピッタリな恋愛のカタチを見つけて、これからの人生をますます輝かしいものにしたい。