何もできない自分が嫌だった。
何も持っていない自分を変えたかった。
何者かになりたかった。ならなきゃいけないと思っていた。
でも、そのままでいいのだと気付かされた。
二日酔いに苦しむ朝、友人は「それはただ、好きじゃないだけじゃん」と私の心を軽くした。
◎ ◎
昨今、SNSには人を焦らせる文章が溢れている。
「〇〇できなきゃだめ!」「いい女の条件10選」「自由を手にいれるためには」などなど。
もちろん、インパクトがあって、人の目を集めやすいから、こんな文言が増えているのはわかっている。何かの広告にアクセスさせるためのものであるのも承知している。
でも、今の自分に何か足りないと思っているからつい見てしまう。
得た知識はすぐに実践したくなる。
トイレ掃除しろ。靴を磨け。早寝早起きしろ。
実践しては「何か違うな?」と首を捻って終わる。
すぐに違う、と断定して終わってしまうから、大した効果も得られない。
そんな自分が嫌になって、自分を変えられるかもしれない情報を探しにまたSNSを漁る。
最低な悪循環。でも、変わりたいからやめられない。
◎ ◎
私が気にしていたのはこんなこと。
「何もしない時間を作ろう」
「自己肯定感を上げよう」
どっちも上手くできなくて、何もしていない時間には焦って、自分を卑下したら無理に褒めようとして、また上手くできなくて落ち込んだ。
頑張る人の話を読むのは好きだ。
成功者の哲学とか、夢を追い続けた人の物語とか。
刺激になるし、自分も頑張ろうと思える。
でもそれは最初だけで、後には何もできない自分と嫌悪感だけが残るのだ。
だったら動き続けなきゃ、とがむしゃらに成功論みたいなものを試し続けた。
私には何もない。数で攻めるしかない。
それでも相変わらず私には何もなく、違和感と劣等感だけを着実に積み上げていった。
◎ ◎
そんな時、高校時代の友人と初めて二人で呑んだ。
私の家で朝まで呑んで寝て、なんだかそのまま解散するには名残惜しくて、なんとなく朝ごはんを一緒に食べていた。
彼女は私とは違って自己分析がしっかりできていて、今の仕事を選んだ理由も今後のキャリアへの道もまっすぐな芯を元にきちんと考えていた。
私はそんな彼女が羨ましくて妬ましくて、ふと、抱えていた悩みをぶつけた。
「自己肯定感を高くできない」
「何も考えずに休まないといけないのに休めない。何かしちゃう」
朝なのに重苦しい雰囲気にしてしまった。
まだ前日のお酒が残っていたのだ。
「悩み続けるのが私のデフォルトだからさ」と誤魔化したとき、彼女が言った。
「それはさ、そうするのが好きじゃないだけじゃん」
「私はゴロゴロしてるのが好き。部屋が汚くてもなんとも思わない」
「それは……嫌だな」
私は部屋が汚いと落ち着かない。
「うん、じゃあそれが好きなんじゃん。それだけじゃん」
彼女はなんともないように言った。不思議そうな顔をしていた。
「自己肯定感なんて高くなくてもいいじゃん。休まなくてもいいじゃん。『できない』んじゃなくて、『好きじゃない』んでしょ。じゃあしなくていいじゃん」
目から鱗だった。本当に落ちたと思った。
『できない』んじゃなくて、『好きじゃない』。
『好きじゃない』んなら、『しなくていい』。
◎ ◎
彼女が帰ってから、テーブルセットとベット以外何もない自分の部屋を見回した。
床には何も落ちていない。前日に掃除をしたからだ。
ふー、と酒臭い息を吐いてベットに寝転んだ。
落ち着かなくてすぐにノートを広げて、済ませたいことを書いた。
いつもは「休日までTODOリストか」と落ち込んでいたけど、その日はなんだか気持ちが軽かった。TODOは全て消化した。
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相変わらず自己肯定感は上がらないし、休日にはTODOリスト作っちゃうし、SNSの言うことを信じすぎちゃうけれど、前ほど落ち込まなくなった。
『これが好きじゃないだけ』が増えた分、必然的に『これが好き』も増えた。
新しいスキルも身につけていないし、誰にもわからないだろうけれど、「私はこれでいい」と少しは思えるようになった。
人によっては退化と思われるだろう。でも、「変わらない」ということを選択できたことは、私にとっての成長だった。