就職してメンタルを病んで休職し、復職支援を受けていた時、再休職防止のために心理学を学ぶことがあった。時を同じくして、部屋の整理をしていると大学時代のプリント集が出てきた。そこで心理学のプリントが出てきて愕然とした。そこには復職支援で学んでいたことが載っていたからだ。つまり私はすでにこの知識を得ていた。しかし全然活かしていないどころか覚えてすらいなかった。心理学は興味と必要性を感じて積極的に履修した授業だったはずなのに。なんだか、勉強ってなんの意味があるのだろうと遠い目になってしまった。
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私はもともと好奇心旺盛で学ぶことには貪欲だ。それに拍車をかけたのは大学の簿記の先生である。それは簿記の資格取得が目的の授業だった。先生は「資格を取ったら、習ったことは忘れて結構です。将来、簿記の知識が必要になった時、『なんかこれ聞いたことがあるなぁ』っていうのと、『なんだこれ、全く知らないなぁ』っていうのとでは天地ほどの差がありますから」と言ったのだ。今まで、覚えておくようにと言われたことはあっても、忘れてもいいと言われたことはなく、とても衝撃だった。それから私は忘れてもいいを大義名分に、興味のあることに首を突っ込み、広く浅く知識を得て、時に資格を取得していったのであった。
先生の発言をポリシーにしていたはずなのに、学んだはずの知識に遭遇しても私は1ミリも思い出せなかった。先生、話が違うじゃん。先生も知ったこっちゃないって話でしょうけども。
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そうして学ぶことへのモチベーションが下がりきったところで、私は学ぶことの重要性を痛感する出来事があった。
私はここ数年、生活が激変し、日に日に生活保護へと近づいている。そうすると焦るので、現状について話す機会があると愚痴ってしまうし、そこでもらうアドバイスを真剣に聞いてしまう。
でも相談しているわけでもないのにアドバイスをするのは大抵、素人なのだ。なぜアドバイスするかというと、素人だからである。素人は責任がないから、無責任なこと言い放題。そのアドバイスを真に受けた私が餓死しようが責任なんて問われないのだ。罪悪感は抱くかもしれないが、私が死んだなんてその人の耳に入るかどうかも怪しい。厄介なのは本人には悪気がなく、良かれと思っての行為であるというところだろう。
福祉制度に関しては専門家がおり、大抵は有資格者である。なぜ資格があるかというと、それらが専門的な知識だから資格が必要なのだ。
当事者だろうと、経験者だろうと、素人は素人だ。生活保護に関しては少しでも知識があれば下手なこと言えないことがわかる。その人の生活、ひいては人命がかかっているからだ。素人の立場で言えることはどこに相談すればいいかということと体験談くらいだろう。
専門家のいいところは領分をわきまえているところもあるだろう。専門外のことに関しては他の専門家を教えられる。知っているからこそ下手なことは言えない、餅は餅屋ということがわかっているのだろう。ファイナンシャルプランナーのテキストに、「同じお金のことでも専門外のことは口出ししてはいけない。この分野はこの資格、あの分野はあの資格」ということが載っていた。ファイナンシャルプランナーに関わらずこういう決まりになっているのかもしれない。
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素人のアドバイスを真に受けた私はというと、生活保護になる前に打てる手は色々とあるのだが、初動が遅れてしまった。その遅れは取り返せるくらいだったが、けっこう焦った。その焦りは精神衛生上、良いものではなかった。もっと私が生活保護について知っていたら、素人ほど厄介なものはないという意識があったらと後悔した。資格を取るとかそこまでいかなくても、知的武装の必要性を感じた。
これからも広く浅く学んでいこう、忘れてもいいから。それは自分のためになり、周りの人のためにもなるだろう。