向かいに座った美術科の先生は、芸術家風のもじゃもじゃの長髪をかきながら、眼鏡の奥で困った目をしていた。
◎ ◎
「うん、今から美大に行きたいって言ってもねえ……」
高校3年生、進路を決めるギリギリの時期。
私は文学系と美大とで迷っていた。
小さい頃から絵と読書が好きだった私には、本の挿し絵やイラストを描いてみたいという夢があった。
美大へと進学したい気持ちが強くなった私は、放課後、階段を駆け上がり突き当たりの美術室へと走った。
選択コースは美術を専攻しているし、私の絵を褒めてくれる先生ならきっと前向きなアドバイスをくれるに違いない。
絵の具の飛び散った机に向かい合って座った私は、腕を組んで黙ってしまった先生の表情から、何かを察した。
期待とは逆に、画塾にも通ったことのない私が今から美大を目指すのは相当厳しいということだった。
自分の絵や夢を肯定してもらえると思い込んでいた私の心は、一気に絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような気持ちになっていった。
先生、お言葉ですがこんな田舎に画塾なんてありますか?電車で2時間以上かけて通う?
言葉を飲み込んで、私は気にしていないふりをしながら席を立った。
私にはそもそも無理だったんだ。
◎ ◎
高校3年の夏、青く揺れる田んぼが広がる畦道を、半分やけくそで自転車を漕いでいた。
理想と現実の差を噛みしめながら空を見上げると、山の上には白く眩しい入道雲が湧いていた。
結局私は美大をあきらめて国文科へと進学した。
もともと本を読むことは好きだし、同じような読書好きの友達もできて、学生生活は思いの外楽しかった。
卒業後しばらく働いたあと、国文科に通っていたときに知り合った人と私は結婚した。そのまま出産も子育てもすぐにやってきて、あっという間に時間は過ぎていった。
出産を機に就職した会社も辞めてしまった私は、子育てをしながら働けるパート先を探しにハローワークへと向かった。
人と接することも好きだったため、希望職種は接客業の欄に◯を付け、職員さんのもとへ向かった。
窓口のお姉さんは自分より5つくらい年上に見え、笑顔もなく事務的に話しかけてきた。
「あなた接客のみ希望されてますけど、範囲を狭めずに探された方がいいんじゃないですか?」
「いまこちらに農業系の求人が出ているんですけど」
ニコリともしないお姉さんに私は小さな声で「あ、はい……」と言うことしか出来なかった。
◎ ◎
そんな冷たい言い方しなくても、もっと優しく対応してくれたっていいじゃん。
帰り道にひとりでつぶやきながらも、後日、無表情お姉さんのすすめてくれた農業系の仕事の面接へと向かった。
そこはハーブの苗を生産出荷している農園で、花の時期には観光花畑もやっていた。
社長さんやオーナーは朗らかで前向きに仕事をされている方で、フランクな面接のあとすぐ採用してもらえることになった。
自然と関わる仕事は、体力も必要で厳しいこともあるけれど、とても楽しかった。
ある日社長と雑談している時、自分が絵が好きなことやイラストを描いていることを話すと
「じゃあ、観光用パンフレットの絵を描いてみる?」と言ってくださった。
パンフレットのイラストを描かせてもらったあと、なんとハーブ苗用のラベルの絵も描かせてもらえることになった。
嬉しくて夢中で絵を描いた。
上手くはないけれど、気持ちを込めて描いた。
自分なんかに任せてくださった社長さんやオーナーにいくら感謝してもしきれない気持ちだった。
◎ ◎
数年が経って、夫の仕事の関係で引越しが決まり、農園の仕事は辞めてしまったが、観光が忙しい時期には毎年手伝いに行った。
そんなある日、社長さんが驚くような電話をくださった。
「友達が東京で本の編集をしているんだけど、ハーブのポケット図鑑の表紙を描いてくれる人を探してるんだって。描いてみない?」
震える声を抑え「私でよろしければぜひ」と答えた。
編集の方は技術も自信もない自分にアドバイスし励ましてくれ、表紙のイラストは少しずつ形になっていった。
自分の誕生日の前日、本は無事発売されることになった。
何よりも嬉しい誕生日プレゼントだった。
製本された図鑑を手に、私は高校時代の自分を思い出していた。
どれだけ遠まわりな道に見えても、歩き続けていればいつか届くことがある。
苦手な人やものに見えても、そこからつながる縁もあるんだな。
学びというものは、人生が続くかぎり終わらないものなんだ。
人とのつながりの大切さと、平凡に見える毎日の意味を考えながら、リビングの窓を開けてみた。
見上げた10月の空は青く、透き通った糸のようなすじ雲が流れていた。