学生時代、私は中国に留学した。
大学も学部選びも、「語学を学びたい」ということで、国際系の学部に進み、昔から好きだった中国語を専攻した。
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就活でもそれ以外でも、「中国に留学した」というと、「なんで?」と聞かれることが多い。留学といえば、いまだに英語圏という印象があるのか、珍しがられた。
理由は、高校一年生の時に家族で上海に旅行をし、その時から中国の土地柄や中国人が気になる存在になったから。
当時、ツアーガイドをしてくれた上海出身の女性の方が、アテンド中に沢山、中国の事情を教えてくれた。とにかく中国は学歴主義で、高校時代は恋愛禁止。高校はもちろん、大学に入っても、毎日ラジオを聴いて、英語と日本語の勉強をし続け、一度も留学に行っていなくても語学が堪能……。
そんな、中国人同世代のライフスタイルを教えてくれた。
私は、その日から、そんな上海人女性のガイドさんに憧れ、ポッドキャストのNHK World Radio Japanを毎日シャドーウィングするようになった。
万博も開催され、みるみる経済都市として発展していく上海。夜も高層ビルのサイネージが眩しい、そんな上海の街のクルージングに揺られながら、この勢いのある中国を支えているのは、間違いなく中国人同世代のエネルギーなんだ……と、妙に刺激を受けたのを覚えている。
それから、私は、中国という存在が、好きになった。
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大学では、第二外国語をスペイン語とフランス語と中国語のなかから選択できたが、迷いなく、中国語を専攻した。
中国は昔から身近な存在だし、言語が漢字で馴染みがあるのも、とっつきやすかった。
そんなこんなで学部一年の時から中国語を学んでいるうちに、ある時、中国語の先生から、「留学に行ってみない?」と話があった。インターンなど日本での生活も充実していたので迷っていたが、先生の一声もあり、行くことにした。
行き先は、大連という東北の都市だ。
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留学した初日に、クラス分けテストがあった。筆記とリスニングだ。そこで、私は上から二番目のクラスに配置になった。一緒に留学したゼミ生は、一番上のクラスにおり、少し悔しかったが、ここから頑張ろうという気になった。
授業の初日は、先生の話も全然聞き取れず、一時間が長く感じられた。
ところが、毎日宿題に追われながら勉強していると、二ヶ月半経った頃に、ようやく話の八割がわかるようになった。本当に、コップにたまった水が溢れるかのように、ある日突然、わかるようになった。
それからのこと、なんだか授業が楽しくなり、日々のホームスティも土日に中国人学生も、都市をまわるのもまるで楽しくなった。
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中国から帰国して、就活では、英語を使う仕事を選んだ。
「中国人と中国語で話すのが、こんなに楽しいなら、英語を勉強して、もっと色々な人と話したい」そんな思いで、帰国の初日から英会話スクールに入り、英語漬けの日々を送った。
その甲斐もあって、一社目はグローバルな会社に内定をもらい、入社後、イギリス人やヨーロッパ人たちとも仕事をすることになった。
社会人になって、そんな多国籍チームに身を置いて、最初は一心不乱だったが、そこで中国語の語学力と留学経験が生きた。社内に中国人コミュニティがあり、私は日本人だったが、入れてもらって、中華系の同僚達に本当に良くしてもらった。
語学にや留学において、回り道が無駄になることなんてない。
帰国してからも、別の場所で自分らしくいられるように、中国語や中国との関わり方は、自分の選択を後押ししている。