出産や子育てなどで何度か中断しながらも、韓国語を勉強しはじめて約18年。英語の勉強期間は中学時代から短大までのせいぜい8年だから、倍以上はゆうに超えている。
どうりで英語を話そうとしても、つい自然と韓国語で考え、言葉が出ている。勉強している年数を考えれば当然のことかもしれないが、まだまだ自分は韓国語よりは英語脳だと思い込んでいたために、最近、その事実に改めて気付いて愕然とした。
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約30年前、学校の成績が振るわないのに雑誌の編集者を目指していた私は、国文科より英文科の方が高い就職率という理由だけで短大の欧米文化学科に進学した。さほど英語が好きというわけでもなかったというのに、今思えば、実に安易な選択だった。
短大1年のときにはイギリスのボーンマスに1カ月間ホームステイしながら短期留学。それなりに学んだつもりではいたが、いつも日本人とつるんでいたから英会話の訓練には全くならなかった。短大時代に英検2級も取得したが、未だに英語圏の方に道を聞かれても、すんなり答えられない有様だ。
30代後半からは、自治体主催の英語教室に何年間か通ったりもしたが、英作文の段階で、ことごとく「英語ではこういう言い方はしない」と言われることが何度も続き、「もう英語はあきらめよう」と自分の中で見切りをつけてしまった。
そうは言っても、英語は世界共通の言語だ。娘がまだ2、3歳のとき、いつも公園で会うインド人のママ友ができたのだが、英語で意思疎通を図るしかなかった。言いたいことはたくさんあるのに半分も伝えることができないジレンマ。英語が堪能なママ友たちに助けられ、多少は伝えることができたが、もっと色々な話がしたかった。
そんな悔しい思いが、一旦はやめていた韓国語の勉強への原動力になったのかもしれない。
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韓国語の勉強を始めたきっかけは、2006年放送の韓国ドラマ『ごめん、愛してる』。放送後の余韻に浸りながらも、すぐに近所の文化センターでの韓国語講座に通い始め、NHKのテレビ講座&ラジオ講座で韓国語の勉強を始めた。
しかし、韓流好きおばちゃんたちがどんどんやめてしまうほど厳しい韓国人の女性の先生のスパルタ指導に耐えながらなんとか続けるだけで精一杯だった。
ある日、教室でやるテストはいつも満点の超優秀な奥様がハングル検定3級を取得したというのを聞き、密かにダメ元で挑戦。すると、ギリギリの点数で奇跡の合格を果たした。
教室のテストではいつも0点だった私が取得したと知って先生はぶったまげていたが、少し勉強すればそれなりに成果を出せるという自信が少しずつ芽生え始めた。
それから結婚、出産、子育てを経ての挑戦は続いた。ハングル検定準2級は6月に7回目の挑戦だったが、今までで一番の最高点を取得することはできたものの、やはり不合格であった。
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それでも、この挑戦は決して無駄ではなかった。初めて本気でハングル検定の勉強をしたせいか、韓国語の理解が今までにないほど深まったように感じたのだ。
だから、次回からはTOPIKにも挑戦することにした。なかなか自分に合うレベルが分からず、とりあえず買ってみたテキストは、かなり易しく感じるが、復習も兼ねて学び直すのも悪くないだろう。ある程度理解が深まったら、早いうちに韓国語の作文にも挑戦したい。韓国語で自分の思いを書けるようになったらどんなに素晴らしいことか。
うまくいけばスピーチも、と韓国語への夢はまだまだ続くが、将来的には韓国留学を考えたりもしている。韓国留学が叶わなければ、韓国語が学べる日本の四年制大学に通いたい。そんな風に、私の「学び」はまだまだ続くようだ。