子どもの頃から、目立つことが苦手じゃなかった。

だからか、今も漠然と「一発ドカンと有名になりてぇ」という思いがどこかにあって、一般人がインフルエンサーという枠でテレビに出ていたり雑誌で紹介されていたりすると、正直妬む。

私には目立つ容姿も秀でる才能も無い。燃え殻さんのエッセイ「ブルーハワイ」(2023年7月出版)にて、「強みは誰にでもある」という主旨の内容を読んだが、はて自分の強みはなんだろう。これだけは誰にも負けない!と胸を張れることが思い浮かばない。

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そんな私でも文を書くことは出来る。近くにいる人間の中では、割と得意な方だ。友だちの退職届の添削をしたり、弟の夏休みの読書感想文を手伝ったりと、時には頼られもする。

その延長線上でこうしてエッセイを書いているのだが、どこかで文の書き方を学んだわけではなかった。気づけばポンポンと作文で賞を獲っていたので、もしかして自分って執筆に向いているのかも、と思うのにさほど苦労はしなかった。

しかし、文の書き方を人に教えるほどの技量は持ってはいない。本を読むのは苦ではないが好きなわけでもないので、インプットも少ない。つまるところ、私がこうして認めている文はほぼ100%フィーリングだ。

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図書館で働いていると、正しい論文の書き方とか、大人のための語彙辞典とか、文を構成するための手引書が所狭しと置かれている。仕事の最中、片手間でページをめくってみたら、普段私がまったく意識していないことが書かれていた。

「一文は短く」「結論は最初に」「曖昧な表現をしない」「読み手にストレスを感じさせない工夫」エトセトラ。
なんそれ!と私の中のZAZYが叫ぶ。そんなの意識したことない。

論文とエッセイでは書き方なんて全然違うかもしれないが、文を書く上では意識すべきポイントに大した違いは無いだろう。無意識のうちに抑えるべきポイントを抑えていた可能性を否定したくはないが、最悪の可能性も浮かぶ。もしかして、私の文って、別に上手くないのではないか…

一発ドカンと有名になるには文章しかないと思っていた。例えば、芥川賞を受賞するとか、私の文章が有名な人の目に留まるとか。だが、それ以前の問題かもしれないと、ここにきてようやく自分を客観視している。

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書くことを生業としている人は、どのようにして書く力を培ったのだろう。やはりそういう手引書を読んでノウハウを学んだのだろうか。ある有名な声優さんが「声優はなりたいと言った人ではなく、選ばれた人がなる仕事」と言っていたが、これは小説家含め、アーティスト含め、クリエイティブな仕事すべてに当てはまることではないか。

「書くことが好き」と「書くことが出来る」と「書くことが仕事」は天と地とマントルくらいの差がある。私の場合、書くことが出来るレベルから仕事になるまでのステップアップが必要だ。そのためにはまず、私の文章をより多くの人に読んでもらってフィードバックをもらうことが必要だと思うのだが、プロも同じ方法で実力を上げていったのかは定かではない。
誰かどうか教えてほしい。文章を書くことは、才能でしょうか、学習という名の努力でしょうか。