私は歌うことが得意だと思っている。中学生の時、それまで「ビブラート」という言葉すら知らなかった私はある時からその「ビブラート」というものに憧れを持つようになった。テレビの音楽番組等で有名な人が歌っている姿を見ると、私もあんなふうに上手く歌えるようになりたいと強く思った。

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と言っても、何から始めたら良いかわからない。当時の私はインターネットで手法を調べるという発想もなかったし、そもそもどのように調べたら良いかすらわかっていなかった。ひとまず、我流でなんとなく声を震わせてみた。

私が通う中学校の音楽の授業では、定期的に歌とリコーダーのテストがあった。ちょうど歌のテストの日が近かった。私は課題曲をひたすら練習した。すると何度かがむしゃらに歌っているうちに、だんだんビブラートらしくなってきた。

なんだか嬉しくなってきた。私は遂に歌手の人たちと同じような歌い方ができるようになったのではないか。と同時に謎の不安が私を押し寄せた。ビブラートをかけている時、私の体は一体どうなっているのか。この現象は一体何なのか。よく歌を歌う時は腹式呼吸とか言うけれど、まさにそれなのか。歌っている時と、普通に話している時の私の声は違うのか。色々考え出すと訳がわからず、なんだか怖くなった。

その末、私は母親に助けを求めた。そもそもこの状況を母親に何と説明したら良いかすらわからなかった。母親も私が何に困っているのか理解することができず、まるで、頭の中がはてなマークでいっぱいの状態のようだった。今思うと無理もない。ビブラートに成功したことに喜びと謎の恐怖を抱いた私。今となっては笑い話だ。

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大学時代はカラオケに夢中だった。大学の近くにカラオケ店があったこともあり、頻繁に通っていた。私はカラオケの採点で高得点を取ることに夢中になっていた。90点を超えることはできても95点の壁はなかなか厳しい。何度も挑戦し、97点を取れた時はとてつもなく嬉しかった。

大学時代、とあるカラオケ大会に出場したことがあった。私は、山口百恵さんの「いい日旅立ち」を歌った。大学時代、山口百恵さんの歌にハマっていた。彼女の歌は大人っぽい歌が多く、なかなかその歌の雰囲気を表現するのは私にとって難しかった。しかし、せっかくなので、挑戦してみることにした。大勢の人の前で歌を披露するのは生まれて初めてだったので、とても緊張したが、自分の思い通りに歌うことができた。結果は残念ながら、入賞することはできなかった。しかし、めったにない良い機会に恵まれ、素敵な思い出となった。

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しかし、いつもいつも良い話ばかりではない。私は社会人になって1か月と少し経った頃、突如、右耳が難聴になり、低い音が聞こえづらくなってしまった。私はかなりショックだったと同時になんだか悔しかった。耳のことを労り、しばらくカラオケを控えることにした。私は歌を聴くことも好きだが、イヤフォンで歌を聴くことを控えるようにした。とても辛かった。治療薬の味が不味いこともさらに苦痛だった。早く元の聴力に戻って欲しいという思いでいっぱいだった。

数ヶ月後、無事に症状が落ち着き、聴力が戻った。私はホッとした。のもつかの間、世間で新型コロナウイルスが発生した。私はカラオケに行きたくても行けなくなってしまった。なんだか寂しかった。大学時代、あんなに通っていたのに。あれほどカラオケが身近な存在だったのに。それが幻のように感じられた。

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歌うことは楽器を必要としない。自分の体が楽器だ。その分、自分のその時のエネルギーが大きく左右すると考える。元気がないと、いきいきと歌えない。自分が歌えない時は、歌を聴いてエネルギーをチャージするようにしている。歌と接しているだけで、幸せな気持ちになれる。

また、歌は楽器が必要ないとはいえども、いつでもどこでも歌える訳ではない。歌うにあたってそれなりの環境も必要だ。それらを踏まえて、歌うことは私にとってありがたく幸せなことだ。歌うこと、そして、歌を聴くことが大好きな気持ちをいつまでも胸の中で光らせていたい。