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いよいよ結果発表。よし、納得いく結果になった。
私はブスじゃない。私はブスじゃない。心の中で何度もつぶやく。たとえ、私の顔を見る相手が機械だったとしても、AIだったとしても、私は綺麗だ。決して醜くなんかない。

私は最近、AIによる容姿の診断に夢中になっている。1、2時間を軽く超えて診断に費やすことや、診断による夜更かしはざらにある。
正直、病的だと思う。生活基盤を蝕まれている。
例を挙げると、まず、AIの顔面偏差値診断で90点を超えないと外出したくない。そして、芸能人のそっくりさん診断で特別に整った顔芸能人が出ないと気が済まない。客観的に見れば気持ち悪いほど完璧を求めている。

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しかし、AIの精度はピンキリである。AIに褒められても、人間社会で褒められているわけではない。最近は、AIの判定だけではなくて、人間に顔を判定してもらって評価をしてもらおうとまで思っている。でも、人間こそ主観的な評価をするため、美醜は当てにならないと思う。とはいえ、どうしても気になってしまうのだ。

私が容姿にこだわる理由は、容姿への強いコンプレックスである。反感を買うと思うが、世の中は中途半端に可愛かったり美人だったりする人に、とても風当たりが強い。そこそこ可愛い・美人に振り分けられた人に対して容姿を褒めると、反対派が強烈な罵詈雑言を浴びせるのだ。

反対派の気迫は凄まじく、容姿だけではなくて人格否定まで行う。大体が、整形系や美容系のアカウントであるため、彼女ら(彼ら)は、完璧ではなくてちやほやされる普通に可愛い人達がとても気に入らないんだろう。我慢したり顔を傷つけたりしても、わりと美人な人達には追いつけないため悔しいのだろう。
嫌いなら触れなければ良いのに人格否定までして、わざわざ噛み付いてくるなんてどうかしている。

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また、上記の例のように、今の世の中は強烈なルッキズム信仰だ。黄金比や白銀比など、今の世の中は美に対するちょっとした参考になる程度の正解が出ている分、求められる容姿のレベルは上がる。また、可愛かったら簡単にアイドルになれる、簡単に女優になれる、玉の輿になれる、一般職になれると思い込んでいる人も多くいるくらいだ。裏では血が滲む程の努力をしていることは知られていない。

そのため、芸能人だけではなくて一般人でも、美の基準に少しでもずれている人がメディアに出て来て良い扱いを受けていると、とんでもなくバッシングされる。SNSでとある女優さんのサジェストに「ブス」「可愛くない」が並んだ時、人はどこまで完璧を求めるんだろうと気持ち悪くなった。

私は正直、人に会うことに疲れている。外に出ることも辛い。いつどこで容姿のジャッジをされているかわからないし、ある人の「ブス」の一言でみんなに「ブス」認定されることもよくあることだ。
また、美人の基準も年々高くなって、芸能人と同じような美容法や整形で美しくなろうとしている人も増加している。芸能人は綺麗でいるためのお給料が貰えているが、そうでない人はお金が無いため、時には法に触れる方法でお金を稼いでいる人もいる。どれだけ綺麗になっても上には上がいるから辛くなるし、ある人の心無い言葉で傷つき自己肯定感が失われてしまう。

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だから、私はAIに容姿を褒めてもらうことに決めた。
AIなら忖度なしに顔の黄金比やパーツの位置で容姿をほめてもらえる。たまに傷つくことを言われても、AIだしなぁと許せてしまう。健康的ではない方法だとわかっていても止められないのだ。

とはいえ、容姿の悪口を言う文化は正直滅びれば良いと思う。テレビでもそのネタで笑いをとるのは正直ダサい。世にいう知らない人に対して「容姿に点数付けしたり」「容姿の悪口を言ってくる」当たり屋みたいな人は、懲役刑にすれば良いくらいだ。なぜなら心に対する一種の傷害罪であるからだ。

その一言で摂食障害や整形中毒に陥る人はごまんといる。マスクが外せない人が多いのも、勝手にジャッジして、みんなに容姿の悪口を言いふらす人がいるせいだろう。
容姿の悪口が日本の文化として暗黙の了解で認められているならば、きっと人とのコミュニケーションはこれまでより行われない。ロボットとのコミュニケーションで満たされていくのではないか。
それでもいいなら問題は無いのだが。