大学を卒業し、社会に飛び出したばかりのあの日、私は26歳という年齢を、はるか遠くにそびえる「立派な大人」として見ていた。
26歳になれば、全てがうまくいっているはずで、安定した仕事と生活、そして確固たる自分の未来が見えているものだと思っていた。けれど、現実は思い描いていた理想とは違っていた。
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26歳を迎えた私は、期待していたような「立派な大人」とは程遠い自分がそこにいることに気づいた。仕事では、まだまだ未熟で、上司や先輩の助けがなければやっていけないことが多い。プライベートでは、何かにつけて親に頼ってしまう自分がいる。社会人としての自立を目指していたはずが、いまだに親の意見を求め、迷ったときには助言を受けることで安心感を得ている自分に、少しの焦りと自己嫌悪を感じていた。
だけど、ふとした瞬間に思うことがある。それは、自分がまだ完全に大人になりきっていないことを、そんなに悪いことではないのかもしれないということ。親に頼ることを恥ずかしいと思うこともあるが、それを無理に断ち切ろうとするより、今はまだその支えを受け入れてもいいのではないかと。
20代後半に差し掛かった私は、30代がすぐそこにあることを感じ始めた。30代になれば、今以上に「大人」としての責任が求められ、自分の行動には一層の重みが加わるのだろう。それを想像すると、少し不安になる一方で、今しかできないことが何かあるのではないかと考えるようになった。
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そこで、私は「20代にしかできないこと」をやろうと決意した。年齢が上がるにつれて、失敗が怖くなることを自覚していた。仕事でもプライベートでも、失敗を避けるために慎重になりすぎて、いつの間にか挑戦を恐れている自分に気づくことが増えた。
「失敗を恐れずに、もっと自由に挑戦しよう」私はそう自分に言い聞かせた。20代はまだ、失敗しても許されることが多い。大きな挑戦も、小さな冒険も、失敗してもそれを笑って受け入れる余裕がある。だからこそ、今この瞬間を逃さずに、やりたいことにどんどん挑戦していこうと思ったのだ。
その決意を胸に、私はこれまで躊躇していたことに挑戦することにした。それが、以前から興味を持っていた山登りだった。山登りというと、体力も必要だし、道具や準備も大変だというイメージがあって、なかなか踏み出せずにいた。しかし、今の自分には「挑戦する」というテーマがある。そこで、私は思い切って道具を揃え、週末に一人で山に向かうことにした。
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初めての山登りは、予想以上に過酷だった。登り始めは、自然の美しさや新鮮な空気に心を奪われ、順調に進んでいた。しかし、次第に足が重くなり、途中で足がつり始めた。普段の運動不足がたたったのだろう。体力の限界を感じ、何度も引き返そうかと思ったが、どうしても山頂にたどり着きたいという強い思いが私を突き動かした。
ようやく山頂にたどり着いたとき、私は思わず涙がこぼれた。全身が疲れ切っているにもかかわらず、胸には満たされた感覚が広がっていた。あの瞬間、私の中で何かが変わったのを感じた。
その夜、疲れ切った身体をベッドに投げ出しながら、ふと笑みがこぼれた。こんな風に無鉄砲なことができるのは、今のうちだけかもしれない。30代になれば、もっと責任を持たなければならないことが増えるだろう。けれど、20代のうちはまだ、自分の限界を試すことができる。
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「次は何に挑戦しようか」私は、明るい未来を夢見ながら、目を閉じた。失敗を恐れず、挑戦することを楽しむ。それが、20代の特権だ。そして、その特権を存分に味わうために、明日もまた、新しい冒険に出かける決意を固めたのだった。
人生には、様々なタイミングがあり、その時々でできることが異なる。20代には20代にしかできないことがあり、それを逃さずに経験することで、次のステップへと進むことができるのだろう。30代を迎える前に、私はもっと多くのことに挑戦し、失敗し、その中から自分自身を見つけていきたいと思う。
そして、いつの日か、心から「立派な大人だ」と胸を張って言える自分になるために、今この瞬間を大切に、全力で生きていくつもりだ。