『かわいい』という言葉を、自分のメンタルの調子を測るためのバロメーターにしている。

メンタルの調子がいいときは、すっぴんでいても「まあまあかわいくない?!女優さんもオフの時はすっぴんって聞くしね、メイクの乗りをよくするためにも土台育てようね」と思える。
メンタルの調子が悪いときは、すっぴんでいると「なんだこの顔は……毛穴えぐいな……目元のしわも気になるし、口周りくすんでない?????」と悪い面ばかりに目が向いてしまう。
こうなるとメンタル側のケアをせねば!と気づくことができるので、ある意味便利である。

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自分自身、自分の顔が好きなので、どこまでどういった感じのかわいい顔になれるのか、という新しい世界を見せてくれるメイクが好きだ。
色々調べて試行錯誤するのは楽しいし、見せたいと思う人のためにするメイクはとても楽しい。
『かわいい』と褒めてもらったら純粋に嬉しいし、もっと頑張りたいって思える。

その反面、見ず知らずの他人から品定めされた『かわいい』『綺麗』という言葉には反吐が出る。

すれ違いざまに(褒める感じではなく茶化した口調で)「かわいい」と言われたときは、「言われんでもわかっとるわ!お前に見せるためやなくて推しに見せるためにかわいくしとんねん!」と思うし、ナンパ目的で「めっちゃ綺麗だなと思って〜」と言われたときは、「なめとんのか、推しに失礼のないように小綺麗にしとんねん!綺麗なのは家出る前に死ぬほど確認したわ!」と必要以上に戦闘モードに入ってしまう。

軽々しく人の美醜に言及することに対して何とも思わないのか?仲が良い人同士ですらセンシティブな問題やぞ?私がこの状態になるまでにかけた工程に思いを馳せたか?いろんなことを考慮した結果、その声掛けになったのか?と問いたくなってしまう。

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逆に純粋に褒めてもらったときには、恐縮してしまう自分もいる。「わたくしめはそんな褒めていただくほどのことはできておりませんので……もったいないお言葉……貴方様の方が丁寧に美容に取り組まれていてお綺麗で……」と私の中のドビーが顔を出す。
『かわいい』と褒められたときの私を見た友人は「信じられへんくらい挙動不審やん……そんなに見た目女子アナみたいやのに……」と言う。
挙動不審な女子アナがおってもええやろがいとは思うが、それも見た目とのギャップがあるという意味で褒めてくれているのだと思うことにしている。

私の中だけでもこんな風に『かわいい』という言葉をかけられるシチュエーションによって感じ方が違うのだから、人それぞれきっとたくさんの感じ方があると思う。
だからこそ『かわいい』という言葉を使う時には慎重でいたい。
でも本当にかわいいと思って『かわいい』と伝えたい!と思ったら伝えられる人間でいたいとも思う。

かわいくあろうとしている人はみんなかわいい!よってわたしもかわいい!みんなで高め合ってこ!