評価というものは、人の数だけあるのだなと痛感する。

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先日、職場の同僚や上司から

「仕事の段取りがすごくいい」
「何が必要かを洗い出して、漏れなく準備ができている」
「失敗もほとんどないし、たまにあっても次に生かせている」
「わからないことがあったときにも手を止めずに人に聞いて解決できている」

と評価してもらった。

自分としては、事前に段取りをしておかないと心の準備ができなくて不安だからやっているだけだし、全部洗い出さないと絶対に抜け漏れが出て失敗するという確信があるから慎重なだけだし、考えてもわからないことは一旦聞くなどして自分の手からボールを離したいだけだったので、それを評価してもらえるとは思ってもみなかった。
何より自分がやった仕事に対して、見てくれている人がいるありがたみを感じた。

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前述の評価をしていただいたのは、今年初め、異動が発表される前のことであった。

異動の辞令は突然のことだったうえに、異動先は何の仕事をするのかもわからない状態。
異動に至った理由を上層部に聞いてみるも、「会社として人員強化が必要な部署だから」というふんわりとした回答しかもらえなかった。
「それって私じゃなくてもいいってことですよね……?」と思いつつも、これも運命だ、頑張ろう!と思い直した。

そんな異動先では今までの部署とは真逆の仕事を行う必要があり、正直とてもしんどかった。何をやっても上司に否定される日々。
動画作成をすれば「センスがない」と言われ、ふんわりとした指示があった資料を提示すれば「早いだけで質が悪ければ意味がない」と言われ……。
前の部署でいただいた評価はなんだったんだ?と思うほどギッタギタにメンタルがやられていた。

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そんな中で、別のプロジェクトに参加することになった。
そこでは別の上司からタスクを割り振られて進めていく形の仕事で、前の部署のやり方に似ていたためか、幾分楽に取り組めた。
その結果、その上司からいただいた評価は「とても理解力があって進めてもらえるので助かります」だった。

これらのことから私はどうやら、資料や動画の作成センスはないが、道筋を立てて段取りをして、つつがなく作業を進める、ということは得意らしいことがわかった。

それと同時に、同じ部署内でこんなにも評価が変わることあります?!?!??!?上長同士で評価基準をある程度揃えておいてもらえるかな???!?!??!?!?と、もう何も信じられなくなった。

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自分の得意なことは意外と自分ではわからないものである。そしてそれと同じくらい、人の評価も案外あてにならない。
嬉しいことはそのまま受け取って長所を伸ばせばいいし、厳しいことに関しては自分で内容を精査して(言いがかりは無視しつつ)自分でも耳が痛いことは改善のために頑張ればいいのだと私は思う。

……こんな風に前向きに捉えて次に生かそうとすることも、実は得意なことなのかも。