中学の入学式の翌日。オリエンテーションから教室へ戻る際、ゾッとしたのを今でも覚えている。画一的な色合いがずらりと並んだ多目的室。千鳥格子柄のスカートとズボンが遠目に見るとチカチカと点滅した。気持ち悪いと思った。
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もっと気持ち悪いと思ったのは、名前の呼び方だ。小学校では、男子も女子も「○○さん」と呼ばれた。しかし、中学では「○○くん」と「○○さん」。明確に男女を区別された。
そして、最も腑に落ちない区別がスカートだった。
明言しておくと、私は可愛いものが好きだし、スカートもワンピースも好きだ。自分の足の太さがコンプレックスなので、現在のロング丈の流行は非常にありがたい。という訳で、日々嬉々として着用している。
だが、制服のスカートは別だった。なんせ動きにくい。風が吹けば際どいところまでスカートがめくれ上がる。しずかちゃんとマリリン・モンローだけに起こる現象だと思っていたので、初めてわが身に降りかかったときは衝撃的だった。掃除の時間も面倒だった。机や椅子の持ち運びに失敗すると、スカートに引っ掛かってあわや、という具合になる。
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その日の都合や気分で、“お洒落”として着用するスカートではなく、他者にルールとして着用を義務付けられ、その上、快適な日常生活の支障となる“制服”のスカートなんて大っ嫌いだった。
私の制服嫌いは高校生のあいだも続いた。それに加えて自分が「可愛らしい女性」になることを忌避するようになった。恐らく、私の知らない間に同学年の女子たちが「社会における女性」のように振舞い始めたのが気持ち悪かったのだと思う。
例えば、8クラスあるうちの7クラスで学級委員長が男子、副委員長が女子だった。中学までは女子の方が長になる人が多かったのに……。そのため、自分もいわゆる“女子”風に振る舞う部分があったくせに、その状態を嫌悪していた。
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そして、迎えた大学生。私はズボンばかり着用していた。この頃の私は、「かっこいい」と言われるのが嬉しかった。「かわいい」と言われるのは嫌だった。自分が求めている女性像は自立した格好いい人であって、柔らかな女性ではなかった。男性から「かわいい」と褒められることに嫌悪すら感じていた。今思えば、中学高校時代に感じた男女を型にはめるあり方に反発した結果だった。
また、その延長で肩の下まで伸ばしていた髪の毛をバッサリと切った。大学受験を機にクラシックバレエを長期で休んだことがきっかけだった。ショートになった。個人的に幸運だったのは、短くした方が似合っていたことだ。いろんな人に「いいね」と言ってもらえた。
髪の短さはどんどんエスカレートしていった。ショートカットがハンサムショートに。ハンサムショートがベリーショートに。そしてついに刈り上げツーブロックへ。
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ツーブロックといっても、表面の髪は長めなので前から見ると単なる少し長めのショートカットだし、なんならベリーショート時代より女性らしい。しかし、ツーブロックになったことで自分の中の何かが解放された。
それ以前から履きだしていたスカートだが、以前よりも履くようになった。なにより、人から「かわいい」と言われて、素直に「ありがとうございます」と言えるようになった。
実際には、自分が女性であり、可愛いものも好きということを表明できるようになった理由はいろいろあるのだと思う。例えば、学校という画一的な環境から離れたことだとか、彼氏ができただとか。
しかし、最も大きかったのはやはりツーブロックだったのではないかと思われる。だって、やっぱり、刈り上げはカッコいい。
というわけで、私は今も、世の中に対するちょっとした反発だとか怒りだとか格好いい人への憧れだとかを髪の内側に秘めることで、女性であることを自分なりに謳歌する。