「かわいい」について考えるのは、とても苦しい。

うまく立ち回ろうとするためだけに他人から浴びせられる「かわいい」と、ひたすらに戦い続けている。24歳にもなって。

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一番古い記憶は、カースト上位の女子からもらった「かわいい」。

幼い頃、乾燥するとよくほっぺたが赤くなっていた。顔にはたっぷりお肉がついていて、一重だし涙袋もない。にっこりと笑うと、火照ったほっぺたが強調される。

中学3年生、教室内では常に暖房を利かせる、冬。高校受験が迫った時期だった。

「かわい~い、アンパンマンみたい!」

学級副委員長だった私は、委員長を務める男子とともに黒板の前に立ち、よくホームルームを取り仕切っていた。

議題が何だったかも、どんな発言をしたときだったのかも全く覚えていない。とにかく、クラス全員の前に立って、自分が注目を集めたタイミングで、そんな言葉が新体操部の女子から投げかけられた瞬間を覚えている。

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どちらかというとあどけなさを感じるのに、片方の目元に印象的なほくろがあるからか色気を感じさせるその子は男子からも人気で、クラスの中心だった。真っ白な肌、小さい鼻、なぜかいつもピンクに色づいた唇。校則ギリギリを攻める制服の着こなしやヘアスタイル、ふざける男子と対等にやり合うコミュニケーション力。

一軍女子の中でもトップの彼女が私を「かわいい」と言う。純粋に褒められていると思うほど、馬鹿ではなかった。
カっと頬が赤くなると同時に、クラス中がざわめきだしたのも鮮明な記憶だ。

クラスで一番権力を持った彼女に乗っかる女子たちの「それな~!」。

かばう気のない男子たちが反笑いで発する「かわいそうだろ!」。

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どうやって持ち直したかは、覚えていない。担任の先生がみんなを静めたのか、私が取り繕うように黒板に向き合ったのか。

本気で思った「かわいい」じゃなくて、その言葉を一方的に押し付けることで自分が優位に立とうとする「かわいい」の攻撃力は、えげつない。

トラウマというのは恐ろしいもので、中学も高校も、ずっと自分の顔を嫌いなまま生きていた。何度も何度も、目の前の人が己のためだけに発する「かわいい」を浴びせられては心をすり減らしてきた。

そんな自分が嫌で、でもメスを入れる勇気も持てなくて。大学時代は、大衆受けとは違うベクトルの美しいモデルさんや女優さんを調べてみたり、自分の良さを活かせる方向性を探して試行錯誤した。

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メイクやファッションという武装を、自分に合った装備でできるようになった今となってはすべてがちょっとした苦い思い出。1ミリも存在しない涙袋に影を付けて、ハイライトを乗せて立体的に見せようとしていたころはもはや懐かしい。

ルッキズムが支配するこの世界を、自分を守りながら上手く泳げるようにまで成長した私を誇らしいと思う。

それでもまだ、私は「かわいい」と戦っている。

好きじゃないし、好かれてもないはずの男性からベッドの中でだけもらう「かわいい」。

上司がコミュニケーションを円滑にするためだけに口にする、新しいネイルへの「かわいい」。

職場の飲み会で、べろべろになった妻子持ちの先輩が耳元でささやく「かわいい……(続く言葉は、想像で補ってほしい。おそらく正解だ)」。

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「かわいい」を憎むだけでなく、飢えてもいる私は、どうも自分からもらいに行ってしまうきらいがある。そのくせ、込められた意味を敏感に嗅ぎ取っては負の感情を抱く。

第2次かわいい大戦を引き起こしているのは自分自身で、終戦の手立てはまだ見つからない。

ひとまず、誰かの心の底から思わず湧き出た「かわいい」だけを受け取り集めて、私の宝箱に詰め込みながらどうにか戦っている。

宝箱がいっぱいになって溢れてもまだ戦い続けているようだったら、その時はまた新たな戦略を考えようと思う。