2011年、中1の秋に不登校になった私は教師の勧めでフリースクールに通うことになった。
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フリースクールと言うと現代的な施設や設備を思い浮かべてしまったのだが、実際は幼稚園や保育園の跡地をそのまま使用した古びた施設だった。使えるお金には限度があるのだということは今になってやっと思えるようになったが、当時の私は「なんでこんな所にわざわざ行かなければいけないのだろう?」と不満タラタラであった。
そこにいる先生は優しかったが田舎の風習の抜けきらない人間だなあという感じで、ある老教師はテンションが上がってアコースティックギターを持ってきて、別に聴きたくもないフォークソングを自分に酔いしれながら披露するという田舎のおっさんあるあるを見せてくれた。それをヨイショするのはこちらの役目であった。「社会だ」と思った。
心理士の先生は当時フジテレビ系列の「ホンマでっか!?TV」に出演していた有名な先生で、私の言う事に対してしっかり傾聴・理解をしてくれて一番話が通じるなと思っていた。心理学の専門用語を用いると、"ラポール形成"を意識的にしていたのだろうと思う。
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そこでは、同じ小学校で存在自体は知っていたが話したことのない一つ下の学年のAちゃんという女の子と仲良くなった。
Aちゃんも人間関係が原因で学校に行けなくなったらしく、「同じだね、難しいよね」なんて話した。彼女はすごく明るくて、照りつける太陽みたいに明るく豪快にニカッと笑う顔が特徴的だった。
母親同士も話すようになって、他の人達が学校で義務教育を受けている間にファミレスでご飯を食べたりもした。ギルティすぎる。私は当時某男性アイドルグループのファンで、いわゆる"布教"をしたら彼女もすっかりファンになって、カラオケで一緒に曲を歌ったりDVDを見たりして楽しく時を過ごした。うちに来て、私の部屋で一緒にお泊りをしたこともある。
他の子は男の子ばかりだったので、ほぼAちゃんとべったりだった。
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進路を決めることになった中3の頃、私が進む通信制高校に彼女も「みゆうちゃんが行くなら行きたい」と言い、実際に私が高2の時に入学してきた。
本来ならば一つ年下なので「後輩」と表すべきなのだろうが、私は先輩とか後輩とかいって人に上下をつけるような表現をするのがすごく苦手なので、友達だと思っている。縦の関係が社会において重要なのは分かるが、得てして先輩なんていうのは尊敬に値しない人が多かったので、自分もそう思われたくなかったという保身もあるかもしれない。
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時を経て、彼女が福祉系の専門学校に進んだと聞いた。その後辞めたのか卒業したのかは定かではないが、交際していた男性との子供を身籠ったようだった。その子供は育てられないために、堕ろしたらしい。
育った家庭環境が今思うと結構複雑だったように思うから、男性に助けを求めたような形だったのかもしれない。だから堕胎という選択をしたことを非難しようとかは思えない。だって、その時はそうするしかなかったのだろうから。
今彼女は上京して販売員をしながら生活している。年1位のスパンでLINEが来るので互いに生存確認している。人生、生きていると色んなことがある。今は会えなくても、またいつか会えたらいいなと思う。
思い出話をしながら、お酒でも飲みたい所存だ。東北のある花火大会の会場にて、彼氏が屋台で買い物をしてきてくれるのを待ちながらそんなことを思った。群衆の中に紛れながら、あの時あの子がいたから不登校という暗くなりそうな時間を楽しく過ごせたんだなぁと少し感慨に耽っている。