かわいいと言われることは、いつになっても苦手だ。子どもの頃からかわいいとは無縁だと思って生きてきた私。自分の顔がかわいいと思ったことはなく、服装もかわいい格好をしないようにコーディネートしてきた。フリルがついた服には、アレルギーに似た拒否反応が出る。

私なんて似合わない。着ても自分が恥ずかしいだけだ、と思っていた。そのため、選ぶ服はいつも、かっこいい服装もしくはきれいやきれいめカジュアルのような清楚感を持つ格好だった。子どもながらに大人びていて、中学生が高校生や大学生の服装を背伸びして真似ている服装。かわいいという言葉から遠ざかり、きれい、かっこいい、などにシフトするように心がけていた。

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大人になると、なぜかかわいいと言われる機会が多くなった。いろんな人と会い、話す機会が多くなったからだろうか。突然言われる「かわいい」という言葉に戸惑い、心からの否定を相手に伝えた。もちろん本心で、決してかわいいと言われることはしていない自負があった。どうしてかわいいと言われるに至ったのか、その人に聞いてみなければいけない。聞いても私には理解できないだろうけど。

女の子だから、女性だから、必ずかわいいという言葉が褒め言葉になるとは限らない。私にとっては怪訝な顔をするきっかけになる言葉であり、相手への不信感をつのらせてしまう言葉である。最近はスルーをするという技を習得したものの、動揺は隠せない。

かわいいと言われるとすぐに殻に閉じこもってしまう。ちょっかいをかけられて頭を引っ込める亀のように。上手な返しができないので、無反応で次の話を始めるのが今の精一杯だ。かわいいと言った人からすれば、気にしていない言葉であろう。しかし、妙に引っかかってしまうキーワードとして相手の目を見てしまう。スルーしないで、と拾われないことがせめてもの救いだと思うことにしている。

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言われることに抵抗はあっても、かわいいと感じるものはある。推し活や子ども用品などはかわいいと思う。反射的にかわいいと言ってしまう瞬間はあるものの、自分に向けられたかわいいと、自分が放ったかわいいとは全く質が違うのは明白だ。

それに、もう子どもではなく、大人として生きているため、かわいいとは本当に距離が離れていておかしくないだろう。今でもきれいやかっこいいが似合う女性になりたいと思って生きている私にとって、かわいいという言葉はハードルがとても大きい言葉である。

また、少し下に見られているのではないかと感じてしまうときもある。かわいさを感じる中には、幼さや拙さ、守ってあげたい存在のような意味合いも含まれているだろう。

そのため、親しみやすさよりも先に幼さや拙さでかわいいと言われているのではないかと考えてしまうことがある。言った本人はそのつもりなどなく、ただ口から出た言葉似すぎないかもしれない。だが、受け取る側としては違和感を覚える聞こえ方をするときもある。

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かわいいという言葉は、相手に嬉しさを与えられる言葉だ。けれど、私はいつもかわいいという言葉が苦手で、抵抗があり、いまでもうまく対処しきれない言葉のひとつである。できることならば、かわいいよりもかっこいいやきれいと言った言葉で褒めてほしい。言われて嬉しい褒め言葉は、頭がいい、頼りになる、だ。

かわいいという言葉とはとても長い距離で接しなければ対応できない私。自分がかわいいと言ってしまうこともあるけれど、言われて不信感を覚えた経験から、むやみに発しないように気をつけている。

口からのでまかせではなく、心からかわいいと思えたときのみ、ちゃんと相手に伝わるように言おうと決めている。かわいいという言葉が苦手な人は少ないかもしれない。特に女性は言われたい言葉としてランクインするだろう。一方で、抵抗がある、かっこいい女性として思われたいと思っている女性がいることも片隅においてみてほしい。