実は私は、少し「耳」が良い。
遠くの音や小さな音がよく聞こえるということではない。ここで言う耳が良いというのは、英語などの外国語の「聞いた」言葉を同じように発音できるということ。
あくまで発音、言語を話す能力の話であって、言語を習得することとはまた違う。
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このことに気づいたきっかけは、高校3年生の時に行った、タイ留学だった。
それまで触れてきた外国語はほとんど英語だけだったし、最初のうちは英語でいけるでしょ、なんて考えていた。
それでも流石に、自己紹介とか簡単な言葉くらいは覚えて行こう。そう思って、選択肢の少ないタイ語の本をインターネットで買った。実物を見て買いたくても、近くにタイ語の本が置いてある本屋などなかった。いっそタイ語教室などあれば通いたかったが、残念ながら私の住む地域には無縁で、自力で覚えていくしかなかった。
本を開くと、全く馴染みのない記号にしか見えない文字。聞いた事のない発音。更にそれに加えて、イントネーションが5種類もある(声調と言うらしい)。
留学団体が用意するプログラムや、現地担当者との会話は英語だった。
しかし、いざホストファミリーの元へ行くと、英語はほとんど通じず、現地の学校で日本語学科にいるというホストシスターも、会話までは難しかった。
覚悟はしていたが、タイ語を覚えるしかない。腹を括った。
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人生で初めての、しかもたったの数ヶ月前に決まったタイ留学で、用意できたのは簡単な自己紹介文程度。最初のうちは、日本から持っていった電子辞書と紙の辞書で、言葉を探して指さし、の繰り返し。
幸いにもホストファミリーには、まだ3歳くらいの幼い女の子がいた。ホストファミリーがその子に普段かけている注意や言葉を真似して言ってみたり、その子が発している言葉を真似して言ってみたりした。小さな子相手に話しかけることが、1番、間違えても怖くなかったから。
何度も会話の中に出てくる言葉が、どういった話の流れやタイミングで使われているかを観察して、意味もろくに知らないまま使ってみたりもした。後になって、こんな意味かと思って使っていた言葉の本当の意味を知ることもよくあった。
未知の言葉だったが、タイ語の抑揚や柔らかな発音が好きで、書き言葉よりも聞く・話すことのほうが得意だった。
少しずつ話せる単語が増えてきて、簡単な会話が出来るようになると、タクシーに乗る時、他校の生徒と交流する時など初めて会うタイ人には、アジア系の顔立ちも相まって、タイ人と間違えられることが多くなった。発音にあまり違和感がなかったようで、タイ人みたいだと何度も言われた。日本人ですと伝えると驚かれた。初めての経験に少し自分が誇らしかった。
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普段の生活の中ではきっと気づかなかった。日本語は当たり前のように話せるし、英語だって流暢に話せる人は世の中に山ほどいる。マイナーで、しかも日本語と全く異なる言語に触れて、初めて気がついた。
しかし実はその片鱗は、所々で顔をのぞかせていたのかもしれなかった。
思い返してみると、好奇心から母についていった、小学5年生の時に数ヶ月だけ通った中国語教室でも、確か発音を褒められたことがあった。でも、まだ小さかったし、単に褒められて嬉しいな、くらいだった。
でも全く違う世界、当たり前じゃない環境でその輪郭がハッキリと見えた。慣れた場所にずっといると、気がつかないものだ。
自分の得意はと聞かれると、これまでの経験を掘り返して探そうとする。でも自分自身が気づいていないと、その得意を拾い上げることすら難しい。
他人に言われて初めて、気づくことがある。でも、普段通りの生活ではなかなか気づくことは難しく、新しいことや違う世界を経験してみないと、案外分からないものなのかもしれない。
実は、まだ気づいていない得意が私の中に眠っているのかもしれない。