新卒で入った会社での生活が、今年で3年目を迎えた。私はこの会社で報道に関わる仕事をしている。……と言えば聞こえはいいが、実際やっている作業は「末端中の末端」なものである。
記者の方が取材して書いた原稿を読んで見出しをつける。読みやすさを考えて数本の記事を紙面上にレイアウトしていく。

間違いが許されない仕事ではある。覚えなくてはならない細かいルールもたくさんある。しかし取材記者をやっている方からすれば、取るに足らないと思われても仕方ない。

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自分が末端だと感じる場面は随所にある。
そもそも私は報道機関の子会社の所属だ。本社の社員さんたちが話している会社についての話には、全くついていけない。たまに盗み聞きしようとしてみるけど、なんの話なのかすら分からない。

ちなみに、単に私の勉強不足でもあるが、社長の顔も知らない。ベンチャー企業に勤める友人から頻繁に社長と飲みに行っているなどと聞くと、あまりの環境の違いに驚いてしまう。
しかしながら、これらのことに不満を抱いているわけではない。今の状況は、自らの能力と意欲に見合っていると感じるからだ。決して卑屈になっているわけではない。自分の身の丈にちょうど合っている仕事だと思う。生意気かもしれないが、末端なりにやりがいを感じることが出来ている。

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末端だからこそ気づけることもある、というのが私の信条だ。「ジャーナリスト」じゃない、読者寄りの人間だからこそ思い至れることがきっとある。
この仕事を始めたばかりの頃は、これっておかしいのでは?と感じた事柄があっても「ペーペーの私が気づくことなんて他の人も気づいているに違いない。きっと何か理由があるのだ」と、聞きもせずに勝手に自分を納得させていた。この判断は必ずしも間違いではなかったが、正解でもなかった、と今は思っている。

あるとき、市民のコメントが実名付きで書かれている記事があった。
当然本人に許可はとってあるのだろうが、市民の年齢やコメントの内容からして、実名を載せるべきなのだろうかと疑問に思った。上司に相談してみたところ、確かに配慮が足りないかもしれないという結論に至り、名前は載らないことになった。
恐らく、実名つきでも記事を書く際のルールとしては間違っていなかったのだろう。載ったところで、本人も家族も気にしなかったかもしれない。
けれど万が一、嫌な思いをさせてしまったら。小さなことかもしれないが、自分の仕事に集中させてもらえる末端の平社員だからこそ、その可能性に気づくことができた。勤めている期間が短くても、取材経験がなくても、過剰に遠慮する必要はないのだと学ぶことができた。

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とはいえ、やはり末端は末端なので的外れな指摘をしてしまうこともある。そんなときは上司や先輩に正してもらって、成長の機会にすれば良い。
末端としての立場を忘れずに、けれど恐れることなく、これからも声を上げ続けていきたいと思う。