「私だけじゃなかったんだ……」

次々に来るリアクションやコメントを見ながら、何度心が震えたか分かりません。

かつての自分に向けて書いた記事が、とあるSNS内のコンテストで受賞しました。そのおかげで、投稿当初は30くらいだったリアクション数は300近くに増え、投稿から数年が経った今でも時折コメントがつくほど、読まれ続けています。

けれど、もともとは「自分のため」に書いた記事だったので、こんなに多くの人に共感していただけるとは思っていませんでした。メニエール病の経験を軸に「休むべきなのに休めずに自分を追いつめてしまった」過去を書いた記事でした。個人的すぎる内容ゆえに、どれほどの人に理解していただけるか分からなかったのです。

でも、実際には「共感できる文章で涙が出ました」とか「私も同じ病気です(でした)」などという声が返ってきました。苦しんでいたのは私一人ではなかったと、届くべき声は届くのだと思いました。

その一方で、苦い気持ちにもなりました。「休んでる場合じゃない」、「早く休まなくていい状態にならなきゃ」と自分を追いつめている人は、もっといるのではないかと思ったのです。

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私は学生時代、メニエール病と診断されながらも「早く治さなきゃ」、「他の人と同じように頑張らなくちゃいけないのに」と、自分を追いつめてしまっていました。休むべき心と体のサインを完全に無視して、自分を追い立てていたのです。

でも、きちんと立ち止まったことで、本来の健康と穏やかな心を取り戻すことができました。
その経験を通して学んだこと、気づいたことを文章にして残し、二度と同じことを繰り返すまいと私は心に誓いました。あの時の自分にかけてあげられる言葉があるのなら、もう遅いかもしれないけれど、自分がその言葉をかけてあげようと思ったのです。

そういうわけで、「休むことは無駄でもなければ、悪でもない」と訴える記事を書きました。それが、どこかの誰か一人にでも届くことを願って。

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でも、そんな記事が多くの人から共感されたというのは、「休むことは無駄だ、悪だ」と思って自分を追いつめてしまう人が多いことの証明のような気がしたのです。

「だって他の人は頑張っているから」
「周りの人に迷惑をかけるなんてダメ」
「休んでいたら弱い人間だって思われそう」

休むべきなのに休めない人の頭の中の声はさまざまでしょう。でも、そういった思い込みや社会に漂う雰囲気が、個人を追いつめてしまうのです。そのことが痛いほど分かったから、私は自分の暗い過去と向き合い、文章にして世に送り出しました。

それは決して楽なことではありませんでした。辛かった時のことを思い出すだけでも嫌ですし、もう書くのをやめようかと思ったこともありました。

それに、自分だけが苦しんでいるような気がしていたのです。他の人はみんな普通に元気に生活しているように私には見えていたので、「こんなことを書いたって誰にも理解されないかもしれない」とさえ思っていました。

でも、そうではないのです。そうではないから、私の声は届いたのです。

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それなら、私は弱みを見せ続けようと思いました。自分の過去の過ちを何度でも伝えようと思いました。自分を休ませるどころか、責め立て追いつめてしまっている人に、伝え続けようと思いました。

休むことは無駄でも悪でもないこと、時に立ち止まる必要があること。まず自分を大切にするべきだということを。

もっとも、そんなメッセージは日々ネット上にあふれる刺激的なニュースや有益そうな情報、華やかな投稿と比べると退屈で、目を引くものではないかもしれません。膨大な情報の波に埋もれてしまう、小さな声だとも思います。

でも、声をあげることで届くべき相手にその声が届くことがあると分かったから、私は声をあげ続けます。いつか、「休むことは無駄でも悪でもない」なんて、当たり前すぎてわざわざ言う意味が分からないよね、と誰にも共感されない日が来ることを祈りながら。