こうしてここで文章を書いているように、私は言葉というものが好きだ。言葉と共に生きてきた人生だと思う。

◎          ◎

幼いころは読書が大好きで、小学生の頃は地元の図書館にも学校の図書館にも通いつめた。徹夜してハリーポッターシリーズを読破したりもした。中学生になっても相変わらず。シリーズの続きが読みたくて、一日で一冊読み切り翌日続きを借りに行った。古典も漢文も大好き。国語は大得意だった。

良い姿勢でじっとしているのは苦手で、読書をするときはよくテーブルの横に仰向けに寝そべって足を持ち上げ、足の裏を天板にくっつけていた。時は流れたが、私は未だに良い姿勢で集中することができない。自宅での作業中は椅子の上で知恵の輪みたいに丸まって、足を揺すぶってリズムを取り、爪先をぐにゃぐにゃさせている。

◎          ◎

そんな私が、高校では夢を追いかけて物理を選んだ。読書も封印し、得意でない理数科目に時間を費やした。そして事件が起こる。文章が読めなくなった。本どころか文章題が読めない。パニックで泣いた。

原因は双極症。双極性障害、あるいは躁うつ病とも呼ばれてきた病。うつ病とはまた違い、一生をかけ治療をしながら寛解を保つ、遺伝的影響も大きい身体の病気だ。

それからは大変だった。教科書一章分をまとめるだけのレポートで、たかだか十ページを読むのに数時間かかった。一行に何回も目を通し、すぐに記憶が零れ落ちてしまう脳の代わりに必死にメモを取りながら泣き出すのをこらえた。

◎          ◎

独り暮らしを始めたが、入眠障害と過眠を併発して生活がめちゃくちゃになった。一度眠ると酷ければ二十時間目覚めない。そして一日眠れない。それを繰り返すから曜日の感覚なんてすっかり消えてしまう。

睡眠薬を飲んでも眠れなくて、ふらつきながら家事をしては脛をあざだらけにした。立っていると気持ち悪くて、椅子に座って料理をした。着替えようと服を脱いで、クローゼットの前で何時間も動けなくなった。ぐちゃぐちゃになった部屋の中、セルフネグレクトで死ぬと思った。躁転すれば一気に家事ができるから、躁転してくれないかと祈りさえした。

色んな薬を飲んだ。薬の副作用で生理が月に二回来るようになり、月の三分の二は具合が悪い。眼球が変な風に動くのも副作用だなんて、しばらくは気付きもしなかった。夜道を歩いていると眼球がどんどん上を向き、前を向けなくなるのだ。おかしいに決まっているのに、頭が働いていないからそんなもんだと思っていた。
それが日常だった。自分が自分じゃなくなっていくみたいでずっと怖かった。

◎          ◎

だから、書いた。なにがあって、なにを思っているのか。書いて、また読み直した。不思議とそれだけはできた。

躁と鬱で人が変わったみたいになるから、地続きの感覚がない。そんな私を一冊のノートに収めて、どんどん記憶から消えていくあの日の私を振り返り、大丈夫、大丈夫、こんな日だって生き延びたんだ、って。言葉で自分を繋ぎ止めた。ぐちゃぐちゃの頭の中を吐き出して余白を作る。めちゃくちゃな私を言葉に変え、理解して明日に進む。一冊のノートが、言葉が、私の支えだった。

書き続けながらこの病気と付き合って七年ほど。最近ようやく少しつ文章が読めるようになってきた。ニュース記事くらいなら簡単に読める。本だって読める。すごく時間がかかるし、少し難解になると読んだ内容を翌日にはほとんど忘れてしまうので、メモは必須だけど。

読むことに関しては、もう二度と「得意」と言えるレベルには戻らないかもしれないのは百も承知だ。それでも、少しずつ私が戻ってくるみたいで嬉しい。そんな気持ちも書き出して、また明日に進む。言葉で形作られた私は、言葉なしには生きていけない。