「良くも悪くも華やかな女の花園×年功序列=理不尽の極み」。
私の中でこの方程式が崩れたことはない。
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大学のために一人暮らしを始めて、以前よりも格の高い茶道の稽古場に通うようになった。ほとんどの人は50代以上。彼らは可愛がるという名目、そして教えて差し上げるという名目で、私ができないこと、ミスしたことをいじってきた。
彼らにとっては弄りの範囲なのかもしれないが、ただでさえ、自分の至らなさをひしひし感じて、それでもできるだけ失礼のないよういつも気を張っている私にとって、彼らの言葉はナイフでしかなかった。でも、同時に、彼らの有難い言葉に、「ありがとうございます」と言うしか、私に選択肢はないのだ。そして、感謝されれば彼らはまた、私のためにと色々なことを教えてくださる。その悪循環。
それに加えて、稽古場内では折り合いの悪い人同士がいて、彼女達は、相手に皮肉を言うために私を使うのだった。
「なつめさん、分かってると思うけど、茶道に刺繍付きの半衿なんて言語道断だからね」
などどいうように。刺繍入の半衿をつけた方は私たちの方をちらりと見る。お願いだから巻き込まないでくれ。そう思っても、また私は「ありがとうございます」という他ないのだ。
私の心はずたずただった。
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若い人が自分しかいないから、良くも悪くも標的にされるのだと思った。誰か同年代の人が来ないかとずっと願っていた。そうすれば、しんどいことも2人で分け合えるし、愚痴や弱音を吐けると思った。茶道のことなんて、知らない人に話しても理解してもらいにくいし、周りに茶道の知識がある同年代なんていなかった。
願って、願って、私が稽古場に通い始めて1年、とうとう一つ下の女の子が入ってきた。けれど、やっとという私の思いとは裏腹に、彼女もまた私の悩みの種となった。
その子は一言で言うならば、天真爛漫だった。お茶室に茶髪のヘソだしファッション、ピアス付きで来るし、茶碗を手に取るその指先にはネイルが輝いていた。一部の厳しいお姉様は顔を歪めていたが、基本的には年上にも臆さずニコニコと話し、よくミスをする愛嬌あふれる姿はみんなに受け入れられていた。
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やるせなかった。私はあんなに気を遣って、それでも足りずに心をすり減らしていたのに。彼女は、できないことが私より多くて、身だしなみだってお茶にふさわしいとは言えない。なのに、愛嬌一つでそれらをクリアしてみんなに好かれていた。
そんなことでよかったの?私が今まで頭を悩ませていたのはなんだったの?
ある日、お姉様がその子に言った。
「キラキラしてかわいらしい爪ね」
彼女は屈託なく言った。
「ありがとうございます!お気に入りなんですよ!」
それ以来、お姉様方はその子に何も言わなくなった。
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小言を言われるのは期待されているから。そう思えば、辻褄は合うから自分を納得させることもできたかもしれない。でも、期待なんかされなくていいから、私はもうナイフで刺されるのは嫌だった。
私にはみんなに好かれる愛嬌も人懐っこさもない。真面目にやってお茶の先生になるというほどの野望もない。私は、ただ平和に私が好きな茶道を細く長く続けられたらそれでいいのに。
理不尽は嫌というほど感じる。それが、年齢のせいなのか、茶道というものの性質のせいか、はたまた私のせいか。答えなんてどうでもいい。つまらない人間関係のせいで、好きなことをやめることほどつまらないものはない。
今は「ありがとうございます」と静かにお辞儀することしか私にはできないのに、冷たい反抗心を心に燃やしながら、私はそれを斬撃から必死に守っている。