最近、雷が多いのは気のせいだろうか。そう思ってネットで調べると、やはり私の気のせいではないらしい。2024年夏、東京は平年より4倍も発雷しているそうだ

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子どもの頃から雷が苦手である。苦手というのも腑に落ちない。恐怖と言いたい。怖くて怖くてたまらない。

そもそも私は大きな音が駄目だ。花火も見られないし、風船が割れる音も怖い。学生の頃は体育祭の開閉会式の花火と競技のときのピストルで苦労したし、お祭りに行くと花火が上がらないか、ポン菓子屋はないか常にビクビクしている。小さな子には風船を持たせないでほしい。割るから。

同様の理由で雷が恐ろしい私は、前にいた会社で雷のひどい日に泣き喚いたことがある。当時20歳。ハタチの女が雷に怯え泣き狂い、仕事もままならない始末。はた迷惑だったろう。

今は職場の人間全員に事情を説明し、ありがたいことに理解を得ているが、根本的にわかってくれる人間というのはいないのが現状だ。もしかしたらこれを読んでくれている方の周りにも同じ症状を持つ方がいるかもしれないので、私の恐怖心について簡単に説明しておきたい。

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まず、大きい音が怖い人間というのは一定数いるようで、この症状を爆音恐怖症と言う。具体的な治療法は特になく、ひどい人はパニック障害を誘発してしまう。私も雷の鳴る日は過呼吸に近い息の乱れ方をしてしまう。

爆音恐怖症による雷恐怖症の私は、ありとあらゆる宥め方をされてきた。「人に落ちることはあまりないよ」とか「建物の中にいれば大丈夫だよ」とか、「イヤホンしとけば?」「耳栓しとけば?」「一緒にいようか?」等々。慰めの言葉をぶった斬るようで申し訳ないが、解決策があるなら私はすでに克服している。

そもそも雷が自分に落ちるか否かはハナから心配していない。建物の中にいれば大丈夫?大丈夫ではない。音が聞こえる以上は私に安全な場所など無い。イヤホンも耳栓も同じく、雷の音はそれらを優に超える。耳を塞ぐのが一番安心できるのだ。
極め付けは、誰かがそばにいるからどうこうなる問題ではない。むしろ、誰かがいると私は耳を開放して会話をしなくてはならなくなるため、一人にしてほしい。光った瞬間に怯えながら耳を塞いで縮こまる姿を、好き好んで他人に見せたい人間などあまりいないだろう。察してそっとしておいてほしい。

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何かしら恐怖症を持っている人はわかるかもしれないが、これは我々にとって死活問題である。その状況下に置かれた瞬間、我々は人権を奪われ、塞ぎ込むしかなくなることを理解してくれる人は本当に少ない。

文句や愚痴に聞こえるかもしれない。しかし治したい気持ちは山々なのだ。花火だってただ綺麗だと思って見たいと、何回思ったことか。

最近、雷に起こされることが多い。それなら少しは寝れているからまだしも、寝る前に天気予報を見て、雷マークがあるだけで動悸が激しくなり、眠れなくなる夜も多々。夜中に雷が鳴るんだ、と思うだけで震えが止まらなくなって、まだ鳴ってもないのに耳を塞ぐ。眠れない。明日もまた早いのに。

どうか私に安眠を。そう願いながら、私は冬を今か今かと待っている。