保育園のころ、同じクラスに苦手な女の子がいた。お互い意識していたわけではないが、私にとっては話しかけづらい雰囲気をまとっていた女の子だ。

少し気が強く、周りを仕切りたがる子で、支配という言葉がぴったりだと思っていた。

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同じクラスと言っても、田舎育ちであるためたかが知れている。各学年1クラスの小さな保育園だったので、他のクラスに仲が良い友だちがいるとか、そんなことは決してなかった。

苦手な女の子とは、住んでいる地域が同じで、お祭りや行事ごとがあると度々顔を合わせた。しかし家族ぐるみでが良かったわけではない。ただ同じ保育園に通っているクラスメイトの1人であり、家に遊びに行くような仲良しではない。それでも保育園で遊ぶときにはなぜか一緒のグループになって遊ぶ機会があり、私の記憶に残っている。

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保育園年中のとき、家族ごっこをして遊ぶことになった。女の子5人くらいと担任の先生を混ぜたグループを作り、それぞれどの役をするのか決めていく。家族ごっこをするとき、私はお母さん役をすることが多かったので、お母さん役に立候補した。

最初は決めた設定で遊んでいたはずだが、途中から園児たちによる独自の世界が各々広がっていく。ぱっと思いついたストーリーを再現し始めたのだ。お母さん役は家族の中でも中心的立ち位置を担っていると思っているのだが、それが崩れた瞬間だった。役をまっとうしようとすればお互いの我が強くなり喧嘩になる。どんどん奪われていく、家族ごっこをしていたという事実がかなり強く記憶に残った。

それ以降、もともと話しかけにくい印象を持っていた彼女にさらに苦手意識を持った。幸いなのか、彼女から話しかけられたことはあまりなかったが、存在自体が苦手に感じられた。この出来事からしばらくして、彼女は家庭の都合で引っ越すことになった。同じ小学校には進学せず、あれから名前を聞くことも会うこともなかった。

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今も変わらず存在を耳にすることはない。同級生の話やSNSでも見かけることはないが、私の中だけで強烈な存在感を放っている。名前だけは鮮明に思い出せて、顔もおぼろげではあるが思い出せる。保育園の僅かな期間だけ同級生となっただけなのに。

もちろん相手は覚えていないだろう。私の名前はもとより、少しだけ通った保育園の名前やそこで遊んだことなどはすっかり忘れているはずだ。記憶の片隅にすらない、消えた事実であろう。それでもクラスメイトの1人である私の記憶には確かに残っている。苦手な女の子という存在としてだが。

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今どうしているのだろうか。会いたいとは思わないが、ふとそんな思い出に思いを馳せるきっかけになった。20年以上前の記憶だ。もしかすると私の記憶の中だけである架空の記憶かもしれないと思えてしまうほどの年月が経っている。夢で見た記憶かもしれないと真実味を帯びなくなりつつある

真実を確かめようとは思わないが、20年以上っても鮮明に思い出せるほど強烈な記憶を残した彼女は、間違いなく気になる存在だ。苦手だと認識したあの日から別れる日まで、私はどう接していればよかったのだろうか。ちゃんと話せばなにか変わったのかもしれないと思うこともあった。

特に小学生になってすぐくらいに考えたことがある。苦手ではあったけれど気になる存在でもあった彼女。仲良くなれていたら今の交友関係に影響はあったのだろうか。もっと友達が作りやすい私になっていたかも知れない。友達の広げ方、作り方、交友関係を変えるきっかけやヒントを得られただろうか。

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昔の一瞬の記憶だが、かなり鮮明に思い出せる苦手な女の子の存在。苦手だとは思いつつ、少し気になった存在でもあった。自分軸で生きられた彼女にうらやましさを感じたのだろう。

今でも思う。私も彼女のように、自分の気持ちにまっすぐに進んでいきたいと。ある意味、自分にないものを目の当たりにした時期でもあったのだろうか。あの子の存在は。幼い年齢であった私にとって、さまざまな気持ちの変化を体感させてくれた存在だった。