先日、祖母に浴衣を着付けてもらった。祖母は50歳を過ぎてから30年以上、弓道をしていて教えてもいるので、着付けとい教え方とい、説得力があった。

きもの屋さんで着付けをしたら当然ながら金銭のやり取りが発生する。しかし、祖母による着付けはお礼に代金を支払う代わりに、あえて「祖母と孫娘の愛の着付けレッスン」とでも名付け、記憶と着付けを心にとどめておきたい(着付け覚えられたか自信ないが)。

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金銭と男女の出会いについて、はて?と思い当たる節がある。
20代前半のとき、「恋愛学」なるものにはまり、本を読み漁っていた。3回デート説における男性が女性に払う金額でその女の人の価値がわかるというような内容で、すごい話があるな……と人ごとのように思っていたが、浴衣の着付けの件で、急に思い出したことがあった。

それは昨年まで地元を離れて地方で一人暮らしをしていた2年間の出来事である。
いわゆる「サードプレイス」を求めて、仕事終わりや休日に行われる数々のイベントに参加していた。そのたびにいろんな人とFacebookを交換した。それまでFacebookはまともに使っていなかったが、そちらではFacebookが主流だったので私も本格的に動かし始めた。というか、はまってしまっていた。

毎月のようにFacebookでイベント情報流れてくるわくるわ……。ビジネス的なものからパーティーまで様々。どのイベントも、顔ぶれはほぼ一緒だった。イベントごとに毎回私に話しかけてくる未婚の男性がいた。その人は私より年上で、もうその町に住んで長いため、町に友人がたくさんいた。おそらくこれからもずっとその町に住むのだろうと思う。

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はて、私はうぬぼれていたのだろうか?
その人とはだいたい1か月ごとにイベントのたびに顔を合わせ、毎回毎回、ほぼ同じ内容で仕事の話やらプライベートな話もほんの少しするというのを、1年間で10回以上繰り返した。今となっては全く進展がなかったこの状況、とても信じられない。これは恋とは呼べない。

数字的にも信じられないと思う根拠がある。
例えば1回のイベントの会費が3,000円だったとして、30人が集まったとする。そのとき、その人が私のために(とする)支払う金額は、1人当たりに換算すると3,000円÷30人=100円。それが10回続くとして100円×10回=1,000円。
これが1対1のデートなら、食事代が1人3,000円だとすると、その人が私のためだけに支払ってくれる代金は3,000円÷1人=3,000円だろう。3回繰り返しただけで9,000円。

この違い、歴然としている。
イベントに私が参加すれば話ができるから個別に誘わなくていいとでも思ったのだろうか。私は、最低限生きられるほどの家事しかしないが、1,000円の女なんかではない。断じて。
しかもその人は私にNPOの仕事に誘ってきた1人なのだ。私に好意があったと言っても過言ではないと思う。

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現在は地元に戻って、わざわざサードプレイスを探さなくとも、友人に気軽に会いに行ける。先日は高校時代の友人とファミレスで3、4時間くらいずっとしゃべっていた。公のイベントではなく、私的に会う方がずっとずっと気軽だ。それもオンラインではなく、リアルな場所で。そのため、オンラインが中心の公のゆるゆるとしたコミュニティをいくつか退会した。自分でも驚くくらいあっさりと。

意外に思われるが、恋愛でも何でも、私は、気になる人や活動には自分から個別に連絡を取る。もちろん恋においてはイベント参加連絡や事務連絡などではなく、馬鹿みたいにストレートに。空振りに終わることがほとんどだが。タラタラと何回ものイベントやメッセージの送りあいを通じて意気投合!みたいなのはもう御免だ。 駆け引きはなし。だいたい、作品づくりでもない限り、同じ会話を繰り返して意気投合なんてあるのだろうか?いや、ないと私は考える。最初の数秒、数分が肝心なのではないだろうか。