20代のうちにワーホリに行きたい。と、ずっと思っていました。兄にこんなことを言われるまでは。
「ふーん、ワーホリに行きたいの? ワーホリじゃなくて、いっそ、世界一周してみたら?」
世界一周。その言葉が私の耳に届いた瞬間、「あぁ、これだ」と思いました。と同時に、「一人ではどうしてこんなに簡単な答えにたどり着かなかったんだろう」とも思いました。世界一周なんて、小さい子どもでも考えつきそうなものなのに、と。
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我が家では、幼い頃に見ていたのはアニメでも、お笑いでも、バラエティでもなく、世界遺産や世界の動物を特集した番組でした。世界にはこんなところがあるんだ! と子どもながらに感動した私は、いつか自分の目で見てみたいと思うようになりました。
どうやって作られたのか想像もできない建造物や、未だに謎に包まれた遺跡、変わった植物や動物、見知らぬ土地で暮らす人々、見慣れない料理……。それらをいつか見に行ってみたいと、心から願うようになったのです。
でも、現実には、学生時代はコロナ禍で留学はおろか卒業旅行ですら海外に行くことはできませんでした。海外を飛び回る仕事に就くことも、海外旅行にバンバン行けるような財力を手に入れることもありませんでした。子どもの頃に夢見た「いつか」は、大人になっても「いつか」のままだったのです。
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それでも、見知らぬ国への憧れは完全には消えず、「20代のうちにワーホリに行く」という夢を抱くようになりました。新卒で入った会社をやめた今となっては、行くタイミングはほとんど自由に決められます。
でも、どこの国に行きたいのか、何をして働くのかが、全く決まりませんでした。そもそも、私が最もしたい「仕事」とは「書く」ことです。それ以外にしたい仕事なんてないのに、見知らぬ土地でゼロから仕事を探すなんて無謀なことのように思えて、なかなか足を踏み出せなかったのです。
そのくせ、口先では「20代のうちにワーホリに行きたいんだよね」と繰り返す日々。それを兄は見抜いたのでしょう、普通は妹に対して言うことがまずないであろう「世界一周してみたら?」が口から飛び出してしまったのだと思います。
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兄は、「変なことを吹き込んだかもしれない」と気に病んでいるようです。でも、「ワーキング」なしで純粋に世界を見て回る、というのは私の性に合っているように思われました。
どこか一つの国にとどまるのではなく、色々な国を見て回る。考えただけでもわくわくします。
もちろん、世界一周なんて「そんな馬鹿なことを言って」と言われるのは分かっています。実際に、言われました。
でも、今しかできないことだから。
というより、今、私がしたいことだから、やってみたいのです。
世界一周を、20代でしかできないことだなんて決めるつもりはありません。10代でしたっていい。40代でしたっていい。70代でしたっていい。100歳でしたっていいでしょう。人生100年時代なのですから。
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でも、私は、「今」したいのです。「学生時代、海外に行けなかった」と過去を苦く振り返るのも、「今さらかな」なんて迷うのもやめにして、世界に飛び出したいのです。
数年前の自分に、「世界一周に行こうと思ってるんだ」と伝えたら、「そんなの無理だよ」とか「お金がないでしょう」などと難色を示される気がします。でも、幼い頃の自分に「大人になった私は、世界一周に行こうとしてるんだよ」と伝えたら、「どこの国に行くの? 何を見るの?」と目を輝かせて聞いてくれる気がするのです。
これから乗り越えなければならない壁は、まだまだあるでしょう。でも、夢を抱くという壁は、夢を言葉にするという壁は、乗り越えることができました。きっと、世界一周へと旅立つ前夜、私は、今の私に感謝をしていると思います。