わたしには、地獄を一緒に歩いてくれた人が2人いる。

1人は、大学の同級生。もう1人は、中学生の頃の吹奏楽部の後輩。
昨夜突然2人のことを思い出したので、当時のことを綴ろうと思う。

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まず、大学の同級生。どちらかというと社交的なわたしは、入学してから割とすぐに彼と友達になった。でもこんなに特殊な関係なったのはきっと大学3年か4年か、それくらいだったと思う。

人よりも感受性が豊かで、人よりも心が繊細で、人よりも変化に敏感な彼。きっと彼が思っている以上に何かを背負い、努力を重ねながら、たくさんの人に誤解され、でもたくさんの人に支えられてきたんだと思う。そんな彼と特殊な関係になったきっかけは、同じ睡眠薬を飲んでいることを知ったからだった気がする。夜の孤独が好きで、眠れない夜が苦しくて、その孤独の素晴らしさと苦しさを理解してくれるのは彼だけだった。いつも夜中2時頃になると声が聞きたくなって、その特殊な寂しさを満たしていた。きっと、お互いに。

寂しさを満たしながら彼とした「その約束」が、当時のわたしを、そして今のわたしを生かしている。
「その約束」をしたのは、確か2020年頃だったと思う。死にたがりのわたしたちは「一旦あと10年生きる」と約束をした。苦しい、しんどい、死にたい、そんなことばかり考えて何度も未遂に走りながらも、彼との約束が、彼の存在が、彼が今生きてるという事実が、わたしを生かしていた。

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同じような時期に親密な関係になったのは、中学生の頃の吹奏楽部の後輩。といっても3つ下なので、部活動を一緒にしたことはない。それなのに彼女はわたしに憧れてくれていた。妹と弟が同級生という事もあって、高校か大学あたりで気づいたら彼女のLINEのアカウントを知っていて、気づいたらご飯に行くようになっていた。その頃にはもう彼女は高校生か大学生だったと思う。
そのうちSNSを通じてお互いが精神を患っていることを知り、その話をしたりしなかったり、年に1回程度会ったり会わなかったりしていた。

そんな彼女は、命の恩人だ。大袈裟に聞こえるかもしれないけど、本当に命の恩人だと思う。死にたくて死にたくてたまらなかったとき、ついにそれを行動に移すとき、彼女の声が聞こえた気がした。きっと彼女はわたしが死んだら泣いてくれるんだろうな。もしかしたら後を追ってくるのかもしれない。そう思うと踏み切れなかった。彼女の存在が、わたしの命を何度も救っている。

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わたしがどんなに堕ちて酷いことをたくさん吐いても、醜い姿を晒しても、言葉を紡いでくれた。どこでも、どんな時間でも、何をしていても。きっと彼女にも苦しいことがたくさんあったのに。

「昔のストイックな先輩ももちろん好きですが、弱ってる部分もありながら踏ん張って生きてる先輩の方がわたしは好きです」
「大好きな先輩が今日も生きてる、それだけでわたしも生きる力をチャージできます」
「どんな先輩でも、どんな生き方でも、誰よりも応援しますし受け入れますし、ずっと大切に思うのは変わらないです」

大学時代に交わした彼との約束が当時のわたしを生かし、彼女の紡ぐ言葉たちが、今わたしの命を繋いでいる。