世の中で「普通」や「常識」にとらわれずに、自分の意志を貫いて生きている人って、どれくらいいるんだろう。最近になって、そもそも何が常識で、普通なのかと私は考えるようになった。
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そう考えるようになったのは、社会で、普通○○だからね。とか、○○するのは常識ですよ。と、正論を振りかざしてくる他人に、少し前に出会ってしまったからだ。その人は自分の人生において一ミリも関係がなく何の義理もなく、別に老後のお世話をしてもらうわけでもない。そんな関係のない通りすがりの残念な人間からの言葉って、すごくイライラする。
その人は福祉に携わるお仕事をしているのだけれど、プロ意識がないのだろうか、と勝手に憤慨しそうになった。
「自らの希望で働かせてもらっているのですが、辞めさせていただきたく思います。次回から出勤できる精神状態ではないこと、理解いただきたく思います」
これは、先日、私が大学の課題と両立しながら取り組んでいたアルバイトを辞めたときの話だ。
上司にあたる方からは、「社会人として、「次から来ません」というのは、あまり許されないことかもしれません」と言われた。だから面と向かって言うと喧嘩になるはずだから、私は下に出て「すみません」と文章にあらわしながらも、心のなかでは、ふざけんな!一回、死んでこい!と荒く叫んだのだった。
しかも私は社会人ではなく、いまはまだ「学生」の身分である。正社員として働いていたのならまだしも、休学することなくストレートに四年間、努力して積み上げてきたからこそ、四回生になった今、卒論と残りの単位を修得することと、アルバイトの両立に励む「学生アルバイトスタッフ」だったのだ。
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ほんとうに、そのときは心も身体もボロボロで、もう早くあの場所から立ち去らないと、という自衛本能が溢れていた。正直、アルバイトの業務のことが頭から離れず、卒論(青春純愛小説)も中途半端にしか書き上げられていなかったのが、「卒業できないのではないか」というプレッシャーになって私を追い込み、苦しめていた。
そんなギリギリの精神状態から、ようやく落ち着いた今では「はて?次回から来ませんというのが社会で働くうえでは許されないと言うのであれば、あなたが携わっている仕事はどうなの?」とひとり怒っている。この、どこにもやり場のない怒りと、疑問。そして、障がい者の方の就労支援や、不登校支援に携わっている人々への不信感さえ、私は今になって感じているのだ。
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だって、こうしたお仕事はとてもデリケートであり、利用者さんの視点で物事を考えたり、一緒に悩んだりするわけであって、そこに「普通」や「常識」なんて通用しないことのほうが多いのではないだろうか。障がいがあることは「普通」じゃないし、「常識」じゃないと、おっしゃるつもりかしら?社会で通用しない、社会のレールからはみ出た人間だとでも、言いたいのかしら?そう思っていないのだとしたら、もっとプロ意識をもって、「普通」や「常識」、「社会で許されること、許されないこと」を考えてから、他人に物事を言いなさい。と指導してやりたくなっている。
どんな人間でも、「それは普通だから、こんなの常識だけどね」と言ったとき、「あなた何様なんですか?あなた、誰?」と必ずといっていいほど言い返されるはずだ。
それらは、特に介護や就労支援、保育といった福祉業界に携わる方は、絶対にのうのうと口にしてはいけない言葉であると、私は確信している。それは、どうしてか。
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はて?
高齢になって老いが生じてしまうことは「普通」ではないのか。
障がいがあっても一生懸命働いたり、勉学に励むことは「普通」ではなく、「常識」じゃないのだろうか。
まだ幼くて自分の身の回りの世話ができない幼児は「普通」に楽しく生きてはいけないのだろうか。
この春、私は思っていたより自分でも短期間ではあったが、あらためて「普通」と「常識」って何だろうと考えさせられたアルバイトに、足を踏み入れたのだった。