私、朝までオールで飲み明かすとか、両手におさまるくらいの回数しかしたことない。

25歳の今、そのことに対してじんわりとしたコンプレックスを育てている。

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私は大学には通わせてもらっていたのだけれど、田舎の国公立大学だったせいもあり、非常に地味な暮らしをしていた。1学年180人ほどしかおらず、サークルの数も少ない。文化系は軽音部しかまともに活動していなかった。運動音痴でリコーダーすら下手くそだった私には入りたいサークルなどなく、無所属で4年間過ごした。

友達はいたけど大人数でワイワイする雰囲気ではなかったし、2年の冬からコロナ禍が始まってリモート授業を受けていた期間も長い。大学生らしいガヤガヤした飲み会にはほとんど参加したことがない。朝まで飲んでろくに眠れないまま講義に出席して、みたいな経験がほとんどない。だから、都会にある学生数も多い大学でのキャンパスライフに、少し憧れがある。

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いや、分かっている。
私は元々コミュニケーションが苦手なタイプだ。飲み会やらサークルやらが充実した都会の大学に通ったところで、結果変わらないか、むしろみじめな大学生活になっていた可能性が高い。分かっているのだ、自分でも。しかし、それでも「たられば」思考をやめられないのが私という人間なのである。

高校時代の友達は札幌の中心部にある私立の女子大に通って、その近くにある旧帝大のサークルに入っていた。しかも、選手はその旧帝大の医学部の男子学生限定のバスケサークル。そこでマネージャーとして所属していたのである。そこまでくるとちょっと、あまりにステータスの高い人間の集まりすぎて、恐ろしさの方が勝ってしまうけど。でも、そういう文化がある環境での大学生活というのには、やっぱり憧れる。そういうサークルの人たちを横目で見つつ、私らはあんなキラキラしたとこには近寄れないねぇ、なんて仲間内で言い合うのも楽しそうだ。

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なんにせよ、時は巻き戻らない。大学生の頃にタイムスリップすることもできないし、かと言ってこんなくだらない願望のために大学に入り直そうとも思わない。

だとすると、このコンプレックスを解消するためには、今からでもそういう場に参加していくしかないのだろうけど。大学生時代にそのような環境に置かれてこなかった人間が今更それを始めようというのは、なかなかに難しい。そして恐らく、社会人になってからこのような部分を取り返そうと足掻くことは、一般的には痛々しいのだと思う。

「遅れてきた青春」を楽しめるのは、必死でそれを得ようとした人ではない。きっと、元から人望があって趣味や特技も大事にしていて、だからこそ自然とそのような環境に出合えるような人なのだ。

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私は何か行動したりすることはないまま、年齢を重ねていくのだろう。おばさんになって、おばあさんになって、「大学生らしい飲み会に参加してみたい人生だったなぁ」と思いながら死んでいく。なんとも馬鹿馬鹿しい人生である。