私の最初の仕事は、山奥の小さな町での仕事だった。
その仕事は、私には……いや、きっと現代の人々全員に当てはまるだろうけれど、あまりにも荷が重すぎる仕事だった。初めての完全一人暮らしに、買い物など全てが不自由な慣れない土地。多少の補償が出るとはいえ、とんでもない時間外まで出勤を強制されたり、同じ志の仲間から私の出した提案を強く責められたりしてしまい、半年も経たず体調を崩してうつっぽくなり、辞めざるを得なくなってしまった。

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大変なのはそこからだった。
最初の仕事で相当なダメージを負っていた私は、心身が回復するまでかなりの時間を要した。ようやく回復した途端に当たったのはコロナ禍。ただでさえ少ない田舎の求人が一気に、ゴソッとなくなってしまった。そんな中でようやく見つけた出来そうな仕事も、「髪が短いから」という謎の理由で断られてしまった。

そもそもの話、私の住んでいる地域は「四年生大学卒の資格持ち」「若い男性」がやたら重点的に、積極的に採用される。若い女性であるこちらも働く気概があるというのに、どの求人に申し込んでも必ず、百発百中で落とされてしまう。とある企業の面接では「あなたはまだ若いからこんなところに来なくていいし、若い女だから彼氏いるし、結婚するし、妊娠するし、出産するし、育児するから云々」……と根深い差別的な説教を食らってしまい、同時に今まで落ちてきた企業数を見て、全く同じ差別がどの場所でも、どの企業でも行われているのだろうと考え、仕事を探す事自体を諦めてしまった。

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ちなみに、私は障がいを持っている。その障がいをオープンにしようがクローズにしようが、結局「若い女」であることが邪魔をし、どの企業も落ちるのは変わらなかったので、思い切って障がいをオープンにして仕事を探していた。しかし出ている障害者雇用の求人はどこも「法律で出さないといけないから出しているだけ」なので、ないも同然。「ツテとコネ」と言うと言葉が悪いが、職業支援を行なっている施設に属し、職場体験を経て能力を認めて貰ってからの就職を考えた。

そのために数年はまともな仕事もないままだった。私の住んでいる地域は車が必須で生活の足。賃金が貰えていないのに車の購入費の支払い、維持費、ガソリン代はとんでもない額で毎週、毎月来る。もちろん生活費もだ。家族の協力も得られない。この負担のせいで、たった数年の事なのに「10年近く仕事がないのにお金だけはひたすらにむしり取られる」という感覚を覚え、この時期は本当に先が見えなかった。足元すらも。「一寸先は闇」どころの話ではなかった。星の光すらない暗黒だ。

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辛い闇の放浪を続ける中、経緯と記憶は朧げなのだが「就労継続支援A型・B型」と出会った。
「働く意欲はあるが、企業に断られてしまった障がい特性を持つ人」なら、様々な場と相談の上で誰でも通えるところだ。しかもA型は雇用という形が取られ、最低賃金が保障される。
就労継続支援施設にも色々ある。初めはA型とB型を並行しているところに通所しており、能力も評価されていたにも関わらず、施設の勝手な理由でA型に昇格できず、逆に賃金を落とされ続けた。そのイタチごっこにすっかり病んでしまった所で別のA型単体の良い施設が完成し、そちらに切り替え通所する事になった。

今は給料が少ないものの、好きなことを仕事にして、安定して出勤が出来ている。
苦しんでいたあの時の私に伝えたい。必ず縁のある仕事と出会えること。いつか、病んだり苦しんだりせず働ける場が必ず見つかる事。この先、何があるかはわからない。施設がある限り、私の情熱が続く限り、今の仕事を全力全開で、永く続けられればと思う。