公立の小学校を卒業して私立の中学校に入った時、私は違和感を感じました。私の中学校は寮制度があり、家が学校から遠いところにある場合は寮に入る子がほとんどで、私もそのうちの1人でした。最初に今までと違うなと感じたのは、私がコロナ禍で学校に行けない日々だった中、初めて分散登校で寮に入った時でした。
何もかもが初めてだった私が普通に廊下を歩いていた時に、ある上級生の方が私に上級生が歩いていたら道を譲ってほしいと話しかけてきました。その時は今まで公立の学校に通っていたから私立の校則に慣れてないだけだと思っていましたが、次第に慣れていくうちにこれは本当に正しいのかと思うようになりました。
私が決定的にこれは間違っていると思ったのは、この校則がいじめに変わった時でした。私自身態度が悪いと言われいじめの標的になりました。実際に何が悪いのか分からずにただ普通に過ごしていたら、日に日にいじめは過激化してきて、中学1年生だった私には何もできず、ただひたすら熱が冷めるのを待つのみでした。
そんな私が中学2年生になり、自分にも下級生ができた時にその下級生達には私と同じ経験をしてほしくないと思い、常に上級生だからと言ってあれこれ言わないようにしました。寮制でホームシックの子がいたら優しく声をかけてあげて、怖い上級生ではなく頼れる上級生になろうと心がけました。それでもまだ私の目標である下級生全員が過ごしやすい場所にするとういうのにはほど遠いところにいました。
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中学3年生になり中学最高学年になり、いい意味でも悪い意味でも寮で自分の思い通りに物事を変えることが可能な学年まで来ました。そんな私は中学3年生になって間もない時に、下級生の人たちにルールを変えてしまうような発言をしてしまいました。私にとってはそのルールが私を苦しめたルールの一つでもあり、もっともこのルールが学生内だけのルールであったことが理由でした。
私と私の友達がその行動をした直後に同級生からは批判を受け、そこで私は初めて同級生のルールに対する思いというのを知りました。最初は自分がいじめられていたから、どう考えてもなくした方がいいと思っていたルールだったのですが、同級生と話し合いを重ねていくにつれて、このルールが下級生を楽にするとは限らないという事実も知りました。
今まで自分のしてること全てが正しいと思っていた中で、話し合いを重ねていくにつれて自分の考えの視野がいかに狭いかということを思い知らされました。それでもその結果が少しでも下級生が寄宿で過ごしやすくなることを祈りながら、自分にできることは精一杯したと思います。
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その後高1になり中学生と関わる機会が減ってきて、ルールに対する危機感が薄れてきました。そんな中、食事のルールの件で違和感を覚え、今回は学年全員が一団となり上級生に対して意見を述べようと頑張りました。今度は私たちの学年からの意見だけを聞くのではなく、他学年がそのことに対してどう思っているのかを聞いて、たくさんの意見を取り入れようと頑張りました。その時にどうやったらこのたくさんの意見をまとめられるだろうと考え、署名活動を行うことにしました。
署名活動を行った結果、たくさんの人が私たちと同じ意見だということがわかり、それを学校に提出しようとしましたが、結局できませんでした。しかし、先生がこの活動によって私たちの意見に気づき、ルールを変えるように対応をしてくれるようになりました。
私にとってはこの結果を持ってこれたのは活動した甲斐があったなと思えます。上級生に対して意見を述べることは難しいことである中で、勇気を出して意見を述べることで自分の意見を言うことを恐れない強さをもらいました。いくら自分の立場が弱くても、諦めないで主張し続けることによってより良い結果に繋げられるのだと思います。
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私はこの経験を経て海外に留学に行きましたが、この頃の経験が私を大きく支えてくれ、何があっても勇気を持って話すことを大事にしていけている気がします。結果に直接繋がることがなくても、誰かのためになることが重要であると中学生から高校生までの寮生活を経て学びました。
初心を忘れることはなく、自分がされたことの苦しみや悲しみを自分の一歩で人の幸せや喜びに変えられるのなら、それがわたしの幸せにもなります。他人の幸せは自分の幸せにも値することを知り、これからも自分に直接利益が来ることがなくても人の幸せを生み出してあげられるよう、誰かの小さな幸せに人生に貢献できる、そんな大人に私はなりたいです。