「本当は、ロシア語を活かせる仕事に就きたい」。

かつての同僚に打ち明けられた時に軽く答えた。
「やってみたらいいのに」と。

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すると彼女の表情が一気にくもった。詳しく訊くと、こういうことである。

現在、ロシア語通訳や翻訳、また、観光ガイドなどといった求人は多くはないが、それなりにある。けれども自主応募をするくらいなら何もしないほうがマシ。彼女は現在、畑違いの職業に就いている。だから、引き抜きはむずかしいとしても、せめて、誰かの紹介という形式にできたら、すぐにでも転職するのに。

つまり、自分発で積極的に行動はしたくない。あくまで〈あなたこそがこの仕事にふさわしい〉とお膳立てされて、自分としては現職でかまわないが、そこまで言ってくれるなら相手の顔をたてなければならないよね。そういった手順を踏みたいのである。

お嬢様だなあ、と感心したのと同時に「わかるなあ」とも思った。ただ、私が彼女と違うところがあるとすると、〈誰かに選ばれた私〉でありたい反面、そんなことは、とてもとても、恥ずかしくて口に出せないという点である。そこまで考えてハッとした。

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夫婦仲の悪い両親のもとで長女として育った私は、幼少期から親の調整役をつとめていた。母の前では父を笑いものにして、一方、父と一緒に過ごす時には母の悪口を言っていれば、穏やかな時間を過ごすことができたからである。

そんな環境で育った私は、結婚や出産に夢を託すことはなかった。嫁になり、母になる人生は悪夢でしかない。周囲の人が無邪気に結婚願望を語っているのを見ると鳥肌がたつ。とにかく白馬の王子様に憧れる女性たちと私は別だ。ずっと、そう思い込んでいた。

ところが、男と女の話にとどまっているうちは、少女漫画のヒロインと自分は違う。一緒にするな! と断言できるものの、シンデレラ願望そのものは誰よりも強烈だ。ただ待っているのは、王子様ではなく、私の場合も仕事だったが…。

とはいえ、強いコネがあるわけでもなく、際立った能力に恵まれていることもない。よって、これまでの転職はおろか、学生時代の単発のアルバイトひとつにしても、もちろん自分で求人を探し、履歴書を書き、みずから応募してきた。そして何度もいや、何十回もお祈りメールを受け取っている。

さらに、私は短歌やエッセイのコンクールなどで何度か賞を頂いた経験がある。とはいえ、いずれにしても、自分で概要を読み、原稿を送った結果だ。ノミネートされたり、依頼されて書いたわけではないのだ。

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客観的に考えて、私は使える人材ではない。けれども、悪く言えばしつこい。よく言えば粘り強い性格をしている。高校生の時に出会い、作り始めた短歌も、1首で披露すると凡人でしかない。

が、テーマや構成を工夫することによって評価される連作(5首1連などいくつかの歌を並べてひとつの作品を作ること)に取り組み、総合誌の新人賞の最終選考に残るようになってきた。とにかく私は一般の人よりずっと不器用なため、がむしゃらに試行錯誤を重ねるしか取り柄がない。ずっとそう思い続けてきた。

しかし、いやだからこそ、ひりひりするほどシンデレラに憧れるのかもしれない。髪を振り乱し自分で掴み取るよりも、「どうぞ」と差し出された果実を優雅に食べたいではないか。そう気が付ついたからこそ、呆気にとられた。

昭和の女の子であった私は、受け身であることに美意識を感じ、高いプライドを持っている。選ばれるヒトでありたいと強く願うこと自体が、コンプレックスの裏返しである。だからこそ、私は素直に欲しいものを主張できないのである。